もし、講師の伝えることが大切ならばビデオを使う理由が見当たらないはずだ。
ビデオを使うことで基本的な教理知識の統一や、講師側の負担を減少する
ということであるならば教会本部は「講師の質が低下している」ことを
暗に示していると解釈できるのは自然である。
そして、これを理由にしてしまうと、
その理路の行き着く先は天理教の衰退でしかない。
講師によって、「○○と言う」人と「△△と言う」人と「□□と言う」人と
違いがあることに危惧を感じているのであろう。
本来であれば、そういった個人の違いも「個性」として内包されていたものの、
それができなくなっている今、講師によって天理教解釈に決定的な違いや、
看過できない事態が生じていると思われる。
それが、天理教の求心力の低下と結びついていると考えられる。