結果として、修養科の存在意義を低下させることになるのは明白である。
修養科の歴史的使命はもう現代では終結してしまったと本部は結論づけていると
考えないのであれば、理由は何であろうか?
もし、修養科の参加人数が減少したその理由を「三ヶ月は長い。仕事を休めない」
という参加者理由を優先したのであれば宗教の本質に対して安易な道を選んだとしか
思えないでしょう。