靖国神社に関する私の見解。
そもそも、国としては「戦死者が出ていかに周囲に不幸になる人をなくすか?」
という研究をしなければ「次の戦争は出来ない」ものだ。
そこで、靖国神社には「25歳を過ぎて、ニートで、周囲の女たちからも、死んじゃえばいいのに」
と思われていた男たちが「戦没者」となっているはずである。
そうでなければ、「侵略戦争への反省がない」「戦争準備として靖国を参拝する」
という発想は生まれない。
本当に、英霊を「神」として美化するのならば、靖国参拝は「平和への祈り」のための
施設に過ぎなくなる。
第二次世界大戦を宗教にした世界唯一の国としては、靖国神社が「侵略戦争への反省」
をする場所なのか、それでは「右翼が動いてもアウトにはならないのではないか?」などが、
國學院の連中には詰めきれていない。
もういちど、遊就館に残されている資料を精査してもらいたい。
私からの依頼であります。