仏教と天理教は教義と教団は全く異なるのに、
抱える課題や背景が多いことは驚きであった。
坊主も会長も、実力はなくても血が大きな意味を持つ。
もし実行力や意欲が高ければ、その血も求心力になるが、
中には実行力も意欲もない人がいる。
そういう人の血は、神や仏の名前を借りて自身が権力化する傾向がある。
特に若者の指導に関しては、会長や坊主が人事権を握り、
さらにその上のセンセイと言われる人の承認が必要となる。会
長や坊主は、上級のセンセイ(理の親)からのポイントを稼ぐために
「子どもは社会に出て働いている」というよりも「御用に勤める」としたほうが
いいのだろう。
実際に天理教の会長さんと話せば、芯のある理念や意欲に溢れる将来よりも
「とりあえずお道の御用を」というところで思考は停止していることに
気付くだろう。ただ結果的に仏教系の方が人として健全度は高いと私は思った。
それは最終的に組織を抜け出せる道、
仏法とは違う生き方が仏教系には確保しているということである。ようは金である。
現在、逃走中の指名手配犯ではないが生きて行くためには金がいる。
現在日本では金がないと生きて行けないようになっている。