私は去年修養科に行ったのですが、私自身に信仰心はなく、
信仰している親のたっての願いで志願しました。

朝つとめや教典や修練など、慣れるまで吐き気がしてしょうがありませんでした。
特に黒法被に囲まれる本部でのおつとめは、苦痛以外の何物でもなかったです。
修養科生はずっと法被を着用してなければならないのも、疑問でした。

そして、一番腑に落ちないのは、みな兄弟、平等の教えがありながら、
どう見ても教会同士、そして教会内でも上下関係があることです。
修養科で直に天理教にふれて、ピラミッド式の図しか見えませんでした。