以前指摘した、日馬富士の問題も、
温暖化の問題も批判し愚痴をつくことは簡単である。
しかし、同じ社会の構成員として社会的責任を感じるオトナは容易に
批判などできない。
若者論から環境問題まで私たちにも責任はあり、私たちオトナが目障りな問題は
私たちが長い間かけて作り上げた問題でもあるのだ。
(私も若いころは若者を嘆くオトナに
「お前らが作った社会の結果だろーが!!!」と言っていた。)
資本主義経済の合理化のもと、
便利な社会を求めた結果として色々な歪みが生じているのは自明である。
その問題群の中で個人が責任を感じることは同時に、
「こうしなくては」と建設的な将来を考えなくてはならない。それが反省である。