しかし、私がこの神殿講話でいつも感じるのは
神殿講話が終了する頃の人々の顔は疲れきっているということである。
確かに、お祭りの場合2時間程度の「おつとめ」の後でのお話であるから
身体的に疲弊しているというのは当たり前なのであろう。
しかも、講話中、聴衆はその話を聞いているのさえも不明である。
大半の聴衆が起きているのか、寝ているか、聞いているのか、
どれにも判断がつかない微妙な姿勢であることが多い。
(聴衆の人々の不可解な姿勢を見ると笑いが込み上げてくるのは私だけだろうか)
2時間の後の30分程度(長い人では1時間以上とも)の難しい話は苦痛でしかない。