彼の言葉に対して私が
「天理教ではみんな国民年金は未納なのですか」
と問うた。
すると答えは
「経済力のある方や信者が多数いる教会は年金を払っているが、
私たちのような未熟な信仰者(お供えをしてくれる信者が少ない教会)では払えない」
とのことである。
私は失礼を承知で、彼の愚直な信仰に対して敬服するとともに、
天理教の構成要員に対する将来的な無責任さに対しては怒りすら覚えた。
将来の保障というのは、現在の責任でしかない。
そして現在の責任は、
彼を社会的弱者に育成した(導いた)理の親にあることは明白である。
憲法第25条にもあるように、
すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するが、
それは信教の自由で相殺されるものではない。