気付いたときには年齢は重ねたものの社会の流れからは完全に取り残されていた。
もちろん満足した就労先(天理教の行事に合わせて休みがとれる会社)は得られず、
現在は上級教会で天理教の仕事をしている。
収入は毎月2万円ほどの給付金である。
その2万円も毎月のお祭り(複数の上級教会)のお供えで消えてしまうとのこと。
私が「お供えなんて自由意志の任意でしょ?」と問えば、
「体裁としては自由意志であるが、お供えの封筒には氏名の記載が当然のごとく
求められる。つまり誰がいくらお供えしたかは分かる」
という暗黙の強制力があるとのことだ。
そして何より私が一番驚いたことは、彼の社会保障である。
わずかの給付金も毎月の半強制的なお供えで消えるために、
彼は「お供えをしているので、国民年金を払うお金なんてない」と
未納であることを教えてくれた。
かといって所属する教会が厚生年金に加入していることでもないようだ。