一定の組織規模以上になることは、
同時に批判や問題が含まれているというのは社会の常である。
しかし、天理教の将来を鑑みたときに本質的課題は組織的な衰退にあると
感じられることが多い。
それは、一定の批判や問題ではなく全体的な信仰への欺瞞という感じが
天理教人にさえ瀰漫している。
身内の組織に対して「これでいいのか?」と不信に思っている人間が、
その信仰の良さを他者へ伝えることができるのであろうか。
私にはそういった人が伝えるものを信仰する習慣はない。