感想を述べさせていただきますと、
何をもって正統とされるかは非常に微妙な課題を孕んでいると思います。
なぜなら現実的問題として鼓笛隊と伝道を両立させるためには一時的に布教を忘れ、
目の前の人といかに共同的に楽しむ(厳しい練習も含め)かということに没頭する
必要があるからです。
目の前に用意されたことに対して楽しむことをせずに、
布教者の思うままに説法をしてしまっては非常に「天理教=つまらない」
ものとなるでしょう。
現実的と前置きをしたのは、今の天理教の方向性が過剰に
「心」に還元する姿勢は現実には大して役に立たないという皮肉も込めています。