しかし三代、四代ともなってくると、理の親しばり、
はともすると究極のパワーハラスメントにもなることはもう実証済みなわけで、
独立希望の教会は、本部直属にするなど改革は望まれす。
個人の幸せの実現のためにあるのが信仰のはずなのに、
組織の繁栄を優先するために各個人が自分の幸せを一生をかけて犠牲にする。
まさにカルトであります。こんな無理が続くわけがありません。
天理教の純粋な信者たちは、理の親に対して、教祖のおっしゃる教理との乖離に、
疑問や不満をもつことでさえ大きな罪悪感を感じ、
それを抑圧して苦しんでおられる方がほんとにたくさんいるんです。