もちろん、理の親と呼ばれる立場の方が、素晴らしい信仰的指導者で、
その方に絶対について行きたいと思う方が、その方を慕い、
その方の言うとおりに自分の人生の指南を仰ぐことは否定はいたしません。
その方の教会に所属し、たすかり、信仰生活を続け、
お供えもできる範囲でしていく、こんな結構なことはいうまでもありません。