私は天理教の末端教会の長男に育ち、
純粋な天理教の信仰生活と教団組織の現状や構造との乖離に疑問を持って
育ってまいりました。
そして、不条理な構造を維持しようとする既得権益どっぷりの教団や
理の親と呼ばれる組織の支配者たちに対して、改革の声をあげたくても、
仮にあげたとしても、もはや糠に釘で、
本当に末端の教会の後継者や信者たちは無力だとほぼあきらめている状況の人間でも
あります。
「陽気暮らし、世界たすけ」とは名ばかりの形骸化した教団組織なら、
もはやいらないとさえ思っております。
組織が沈没しようが教えは変わりませんから。
個人で教祖中山みきのひながたを求道していけばいいのだと
。今は実社会で、自分のできることをしっかりと行い、
自分の生活費は自立して自分で稼ぎ、人生の拠り所として教祖の教えを慕い、
教団組織とはほぼ関わらずに、悠々自適に陽気に暮らしております。
ある意味、末端教会だったからできた教団から距離をとることかもしれません。