【奈良県名門】帝塚山中学校・高等学校【Part8】 [無断転載禁止]©2ch.net
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2017年 中学入試 日能研結果R4偏差値(合格率80%ライン)【関西版】
http://www.nichinoken.co.jp/np5/schoolinfo/pdf/r4/results/r4_2017_w_m.pdf
71 灘
66 東大寺学園
65 甲陽学院
64 西大和学園
63 大阪星光学院 洛南(専願)
62 函館ラ・サール(大阪) 愛光(大阪)
61 清風南海A(S特進)
60 ★帝塚山1B(S理系選抜) ★帝塚山2B(S理系選抜)
59 洛星(前期) 広島学院
58 六甲学院A
57 北嶺(大阪) 高槻A ★帝塚山2A(S理系選抜)
56 白陵(前期)
53 清風南海A(特進) ★帝塚山1A(S理専願) ★帝塚山2A(英数)
52 ★帝塚山1B(英数)
51 清風(前期理V)
50 開明1(前期S理数) 大阪桐蔭(前期S英選) 関西学院
49 同志社
48 明星A(特進) 岡山白陵(専願) 修道
47 同志社香里(前期)
46 土佐塾(大阪) 立命館(前期B総合)
42 清風(前期理U) 大阪桐蔭(前期S英数) 金蘭千里(前期A) 関大第一
41 開明1(前期理数) 立命館宇治A
40 明星A(英数) 関大中等部(前期)
39 関西学院千里国際
38 清風(前期理T)
<前スレ>
【奈良県名門】帝塚山中学校・高等学校【Part7】
https://mao.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1493819026/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:d127b0244123b0e9f9b21866d0b8b0c1) 「え?天理教はそんなにお供えを強要しないし、強引に入信させないよ」
と信者なら言いたくなるような訴えが見られる。 >>584
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>585
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>586
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>587
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>588
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>589
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>590
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辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) そういえば私が実際に聞いたことだが、友人が
「天理教ってセックスするとき避妊したらダメらしいぜ」
と言っていたのを聞いたことがある。何年も前だが。
その時の若い私は「だから天理教の教会は子どもが多いのかー」と思ったが
冷静に考えれば、そんな教えがあるはずないことは自明である。 閑話休題。ウェブ上で見られる天理教批判を鵜呑みにすることはできないが
それでも「火の無い所に煙は立たず」であり
信仰者、もしくわ上に立つ者として「梨花に冠を立たさず、瓜田に沓を入れず」である。
天理教に関連する裁判が存在するように、それが事件や事案として扱われることもある。 >>609
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>610
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>613
というデマを書いて荒らしてるのが天理教の菱川和則エルシーサイエンスは天理教です。
ぐぐって調べよう
上位に出るよ 天理教の特徴である緩さも、個性や、その教会が持つカラーとして機能している間は
非常に魅力的であり、十分に意義はあると思う。大いに歓迎すべきである。 しかし、その緩さ故に人を苦しめることになっては本末転倒である。
カイチョウさんは、その権力の不透明さに慎重であるべきである。 >>614
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>615
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>616
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) 菱川みたいに息子が就職に失敗しても自分の会社で無理矢理形だけ雇うって
ことはできませんからね(笑)。 >>620
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) そういう意味も込めて、カイチョウさんの資質向上を一貫して私は訴えている。
後継者や信者のための講習会に大した意味はない。 それが無理なら教会本部は、天理教特有の緩さを是正し厳密に
カイチョウ職を定義づけるか、第三者が閲覧可能な監査機関を設けるか、
理の親という概念を撤廃すべきであろう。 そうしてしまうと信仰というものを伝える宗教では意味がなくなるのかもしれない。
また上記に挙げた例は、極端であり現実的でない。現実的には私も望んでいない。
しかし、私が訴える命題は
「カイチョウの質に関してなんらかの策を講じないと、この先ヤバイんじゃないの?」
ということである。 それほど、私はカイチョウのコセイの行き過ぎに憂慮している。 この間も某有名K大教会のカイチョウの弟(分教会のカイチョウ)が酔っぱらって
信者とセックスしてしまい奥さんと離婚したというのを聞いた
(噂だが、かなり高確率で事実らしい)。
そのK大教会のカイチョウは天理教の中でも厳しいことで有名らしい。
そのK大教会の信者いわく、
K大教会のカイチョウさんとは信者にしてみれば雲の上の存在らしい。
気軽に「おっす、カイチョウ」なんて挨拶できない、
まさしく神格化されているのだ。
カイチョウとして勘違いも甚だしい。
K大教会のカイチョウ自身の人間性は知らないが
周りがカイチョウを神格化していることに気がつかなくては
カイチョウとしての能力を疑ってしまう。 またそれが事実でなくても、信者にそう思われていては同じである。
そんな振る舞いをしていては周りにいい影響を及ぼさないことすらも
K大教会のカイチョウは考えが及ばなかったのであろうか。
昭和の大企業が平成になって不祥事が続発しているのと同じ構造である。
ヒエラルキーの一番上にふんぞり返っていては、何も見えないだろうし
下は何も言えないだろう。
ただ社会(信者)の問題意識は厳しくなるのみである。 厳しくて有名なK大教会のカイチョウ。
その厳しさが、近親者である弟にさえ伝わっていなかったのである。
事件後の弟がその後どうなっているのかは知らないが、極秘裏に処理されている
可能性が高いことは想像に固くない。 しかし上記のことも、その他の不祥事も、信者にとってはたまらないだろう。 もう少し、いや欲はいわないが、せめて誰かを傷つけないほどに
カイチョウさんは、その職責の影響力や不透明さに自覚的であってほしい。 >>623
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>624
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>625
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>626
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) もちろん、取りあげたカイチョウさんは一部の一部である。
立派なカイチョウさん、人として素晴らしいカイチョウさんもいる。
しかし、「私はエライ」などと勘違いし、「私は常に正しい」と思っている
カイチョウさんは主観的だが結構いると思う。
昔、オーストラリアの福祉の専門家と話をすることがあり私が彼に、
「プロフェッショナルの条件とは?」と問うと
「それは常に『私は間違っているのではないか』と自問し続けることができることだ」
と彼は答えた。
天理教のカイチョウさんも天理教のプロフェッショナルであってほしいと思う。 >>626
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>627
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>628辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>629
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>630
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>631
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>636
辻正彦よ、引きこもりにとっての正月はつらいのう。親せきの方が家に見えたら、奥の納屋に引っ込んで、帰るまで声を潜めなければならないからのう。あ、お前さんは常時納屋に籠もってるんだったなあ。失礼しました(苦笑) >>532
公立高校でもフォーカスゴールド使ってるとこ、割りとあるよ。
大阪の文理科高とか、膳所とかもね 修養科終了の信仰三代目ですが、全く持って同感です。
逆に言うと私も含めて「ならず者だから天理教をやっている」という見方もできます。
私も他人様に、まちがっても天理教は勧めません。 今日はセンター試験日。
帝塚山の生徒さんも数多くが今、受験しておられる。
難関国公立を目指し、長らく研鑽を積んで来られた生徒さんは、まさに今日が人生の岐路と 不退転の決意で臨んでいることだろう。
だからこそ、それが成功につながった時の喜び、達成感、高揚感は高校入試如きとは比較にもならないほど大きなものであり、 一方で成功しなかった時の挫折感、悲壮感、絶望感も非常に大きい。
むろん皆さんには是非とも合格の栄冠を勝ち取ってもらいたいのだが、現実に皆そうはいかないのが大学受験の厳しさでもある。
だからこそ、皆さんに敢えて先に言っておきたい。
この受験の成功如何が後々の人生に多大な影響を及ぼす者とあまり及ぼさない者がいる。
「受験で成功したこと」で後々多大な恩恵を受けられる者は、たいてい、勉強に限らずそれまでの18,9年の人生を真剣に生きてきた者である。
周りの人間を大切にし、何かに真摯に打ち込んで心身を鍛え、社会に心と目を開き、失敗を恐れず挑戦してきた者たちである。
一方、そうしてこなかった者、すなわちただ受験での成功を志向するばかりの高校生活を送り、高校生活で本来身に付けるべきものを身につけてこなかった者は、
仮に受験で成功しても、前者に比べてその恩恵を後々実感する度合いは薄いであろう。
(大学で”生き直して”取り戻した者は、前者より少し遅れて、成功の恩恵を実感できる)
公立進学校や伝統名門私立校において、無理に現役合格にこだわらず、高3の夏までしっかり部活に打ち込んで、必要ならば浪人してもいい、
とアドバイスする大人が多いのは、その現実をよく知っているからである。
また・・そうしてこなかったというよりも、そうする能力が乏しかった者(すなわち発達障害による生来のコミュ障等)は、その後
「あの合格の栄光は一瞬でしかなかった」と嘆くしかないような厳しい人生が待っていることだろう。
受験は非常に重大なイベントだが、また一方ではその程度でしかない。
その酷薄な現実を如実に証明した元学歴エリートがお受験板の奈良県関連スレに長らく常駐して暴れている。
またその現実を端的に考察したものがある。
「高学歴社会不適応者についての考察」
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1451286984/528-534 安保法案が可決された。
いくつかの団体、組織、またはその有志がデモやWEBページを作ったりと
反対運動がなされた。この件に関して、この場では特に立場を明確にしない。
私より詳しい方が多数声をあげており、そちらを参照されたい。 ____
./, - 、, - 、  ̄ ヽ
./-┤ 。|。 |――-、 ヽ
| ヽ`- ○- ´ / ヽ |
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| ´ | `ヽ . | |ヽ
∩ 人`、 _ | _.- ´ | .| \
| ⌒ヽ / \  ̄ ̄ ̄ ノノ \
1 |´ | ̄―--―― ´ヽ _ /⌒\
\_ _/-―――.| ( T ) `l Τ( )
 ̄ |  ̄ } | \_/
| 、--―  ̄| /
茅野愛衣と悠木碧の水着の紐解きたい 私はこの安保法案の可決までの動きについて、
ある意味すごい時代にきたんだと感じることが多かった。
それは情報の速度と、組織が隠したい情報の暴露である。
つまりインターネットである。
ひと昔であれば、国会で起きていることを「ほぼ同時」に国民が知ることはなかった。
多くが数時間後の次の日か、少なくとも、テレビ局というフィルターを通して、
限られた時間でしか知る方法はなかった。
しかし今回の安保法案では、個人が発信者となり、世界中に情報は溢れた。
国会審議もNHKが中継を止めてもネットで見ることができた。 ┌─────┐
│基地外警報│
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ヽ(´ー`)ノ
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く >>658
このあたりで今年も正月早々から暴れ続けるお馴染みの天理教キチガイ 辻正彦(奈良県立畝傍高等学校46期、42歳、無職、
独身、働く気無し、実家に寄生する蛆虫、人間の屑)をご紹介します。
液クロの菱川社長から受けた恩を忘れ、菱川社長の誹謗中傷を続け、母校の奈良県立畝傍高等学校の看板に泥を塗り続け、
大阪大学理学部の看板に泥を塗り続け、奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)の看板に泥を塗り続けて、はや、10年超。
自分の逮捕歴を報じた新聞記事の自分の氏名欄を、菱川社長の氏名に書き替えるなど、全くの論外の行動を続けています。
そんな哀れな 人間の屑・蛆虫 辻正彦くんの連絡先は下記の通りです。
住所
〒634-0071 奈良県橿原市山之坊町43−2
電話番号 0744-24-0266
電子メールアドレス
daiyakaisei@gmail.com
daiyakaisei@yahoo.co.jp >>659
このあたりで今年も正月早々から暴れ続けるお馴染みの天理教キチガイ 辻正彦(奈良県立畝傍高等学校46期、42歳、無職、
独身、働く気無し、実家に寄生する蛆虫、人間の屑)をご紹介します。
液クロの菱川社長から受けた恩を忘れ、菱川社長の誹謗中傷を続け、母校の奈良県立畝傍高等学校の看板に泥を塗り続け、
大阪大学理学部の看板に泥を塗り続け、奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)の看板に泥を塗り続けて、はや、10年超。
自分の逮捕歴を報じた新聞記事の自分の氏名欄を、菱川社長の氏名に書き替えるなど、全くの論外の行動を続けています。
そんな哀れな 人間の屑・蛆虫 辻正彦くんの連絡先は下記の通りです。
住所
〒634-0071 奈良県橿原市山之坊町43−2
電話番号 0744-24-0266
電子メールアドレス
daiyakaisei@gmail.com
daiyakaisei@yahoo.co.jp >>660
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│辻正彦死亡h
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く >>663
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│辻正彦死亡│
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く その結果、政党、テレビ局、活動家、あらゆる人たちの隠したいであろう情報が
簡単に漏れ伝わってきた。
メディアリテラシーという誤った情報に左右されずに、情報を選択し、
正しい情報を読み解くことは大切だと思う。
しかし、その情報の正しさこそメディアや研究者、当事者も含め、
誰も「正しい」判断ができない状態になっていると感じた。
そもそも正義はどこにあったのだろうか。 そして忘れてはいけないことは、情報の正誤にこだわるよりも、
ネットが人々を団結させ、膨大な集団エネルギーが生まれるということであろう。
その結果がアラブの春であり、香港の学生運動であった。
権力者がどう行動し、陰で何を話し合ったか、
それを知ることが簡単にできる時代にきている。
これが社会にとって良いことなのか、悪いことなのか私にはまだ分からない。
しかし、もう後にはひけない。
小さな出来事、小さな情報、小さな行動が、人生を狂わせ、組織を崩壊させ、
容易に権威や権力を無力させる時代になったということである。
この認識は組織経営としては常識になっており、
大企業が学生バイトの行動一つで株価を暴落されることは珍しいことではない。 そして、この時代の波に曝されるのは天理教も同様であろう。
天理教は良心的な組織であり何も隠してるつもりはないと信じたい。
しかし
「大教会長に進路を変えさせられた」
「お供えは心定めというノルマ制である」
「天理時報の購読数が減少しており本部勤務者は一人一部の購入を勧められている」
といった情報が証拠とともに私の元に多く送られてくる。
ICレコーダーでとった録音データを送ってこられる方までいる。
それらを公開するつもりはないが、
私が発信していることがガセネタであるかどうかは、読者の判断に委ねたい。
今後天理教に関わる人間が、天理教を発展するために団結するのか、
天理教を変革するために団結するのか、私にはわからない。 キチガイも専門家の書き込みも等価で扱われるんだから
書き込みする人のレベルが低下してきたら
まともな人は寄り付かなくなるし
マトモな集まりも
一人のキチガイが参入してきただけで崩壊することもある
匿名掲示板がどこも過疎っているのは
それが原因だと思うよ >>665
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く >>666
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く 話は長くなったが、これから本題。
これまで天理教の財政についてデータを調査してきた。
天理教本部の収入の9割以上がお供え金である。
では、残りのお供え以外の収入、4億6千万円は何か。
天理教の月刊誌である「みちのとも」によれば「雑収入」とある。
雑収入で4億6千万円とは、常識外れのどんぶり勘定である。
これについては、私も以前の財政データを調べているときに不思議で仕方なかった。
「この雑収入はどこからきているんだ?」と。
しかしどこにも雑収入の詳細が載っていないため、言及ができなかった。
天理教関連の書物を出版している天理教道友社の売り上げだろうか、
私は道友社は赤字と聞いているが。
ということで、あらゆる方面から、できる限り調べてみた。
すると驚くべき事実がいくつか出てきた。 事実1 宗教法人は、
宗教法人法において財務諸表は公開しなくてもよいと決まっている
宗教法人法第25条において、宗教法人は年度終了後に収支計算書を作成し
官庁に提出しなければならないとなっている。しかし、公開義務はない。
天理教の財政状況を調べている中で、あまりに情報が公開されていないので、
薄々感じていたが、やはり公開義務はないということは法律で決まっていたのだ。
これは宗教の公益性と信教の自由を担保するための措置であると思われる。
しかし、信者などの利害関係者は閲覧を請求することは可能である
(しかし「不当な目的ではないと認められる者」とあり、
実質のところ信者が教団に財務状況を請求したところで天理教は公開しないだろう)。
つまり天理教信者ではない私のように、
目的が調査・研究であっても第三者には公開してなくてもよいということである。
天理教信者の方は是非天理教本部に開示請求してほしい。
そうすれば天理教が信者や社会に対してどのような姿勢であるかは明確になるだろう。
天理教は表向きは情報公開しているようでも、
所有財産や予算の詳細など大切なところは全く公開していないので、
良心的な組織とは言えない。
冒頭にも言ったように、
こういった閉ざされた姿勢は今後どんどん風当たりは強くなるであろう。
日本にはいくつかの宗教法人(天理教ではない)が財務状況を公開しているところもあるようで好感がもてる。 事実2 天理教には天理教が投資して設立した株式会社があり、
そこの役員は天理教幹部ファミリーであると思われる
私が確認したところ印刷業の株式会社天理時報社と、
不動産業の株式会社東京天理教館の2つである。
天理時報社は代表取締役が諸井博和氏である。
彼の名前で検索すると天理教の幹部かその親類であることはよくわかる。
みちのともによると「天理やまと文化会議委員」に任命もされているので
幹部に近しい人物であることは間違いない。
なぜなら天理教幹部で諸井という苗字は多いからである。
東京天理教館は、天理教という名前も入っており、
普通に考えて天理教が投資して作った関連企業であろう。
代表者の松田嘉次氏は、天理教幹部であるのかはわからなかった。
しかし天理教幹部にも松田姓が複数いるため、ほぼ幹部親族であることは間違いないと
私は見ている。
この天理教会館であるが、月に数百万円のテナントを抱えるビルを複数運営しており、
その賃料収入はかなり大きなものと考えることが普通であろう。
この会社から天理教へのお金の流れなどは不明だが、この会社自体は、
非常に大きな資産と収入を有していることは間違いない。
この会社が有しているビルなどは、もともと信者のお供え金が原資であり、
天理教を経由して投資されたと考えることができる。
土地の取得、ビルの建設など都心に有するということは
数百億〜数千億円規模のお金が投資されたことは間違いないだろう。 私には分からないが、もし諸井一族や松田一族のようなものが
代々と世襲制で天理教の幹部職を勤めているとしたら、
組織として風通しが悪すぎであろう。
その他にも同じ苗字の者は非常に多い。この辺もいずれ徹底的に調査したいものだ。 事実3 天理教は株式投資をしており、相当数の株を資産として保有している
実は、私が一番知りたかったのはここである。
しかし、宗教法人には資産の公開義務はないため知るすべはなかった。
しかし、そのことを株式を公開している企業であれば天理教が株主であることを
知ることができるかもしれないと数年前に聞いたことを思い出した。
検索してみると天理教は奈良テレビの主要株主であることが明らかになった。
7万6千株で7.13%の比率というとかなりの株を保有している。
奈良テレビのwikiに載っていた。
現在の状態はわからなかったが、
奈良新聞社の設立時の筆頭株主は天理教であったという情報もあった。 もう少し調べると、天理教は奈良の優良企業である南都銀行の株主でもあった。
天理教が保有する南都銀行 の株、その数なんと2014年現在、
204万6千株を保有しており、南都銀行の発行株の0.7%の比率である。
(大株主総覧2014年版(下巻)東洋経済新報社)。
2015年9月現在、南都銀行の株価は約350円である。
つまり204万6千株を所有していると計算すると、
天理教は南都銀行の株を取得するために7億1400万円を投資したことになる。
(注意 取得した時の株価は分からないため推測値にすぎない)
そして、現時点での南都銀行の配当利回りは1.87%で、一株あたり7円とある。
つまり天理教は、南都銀行の株を所有していることで、
年間2,800万円余りの配当金を得ていることになる。(南都銀行は年2回の配当) いくつかの資料を目にすると、宗教法人は投機的な株の売買は倫理的に問題があり、
また現実的でもない。
株の売買などではなく資産として保有し続けて毎年配当金を得ることが目的となる。
つまり、上記に挙げた少数の企業だけの投資というのは考えにくく、
公表されていないだけで、より多くの株式や資産を天理教は保有していると考えるのが
普通である。
天理教の4億6千万円の雑収入の内訳は、こういったものだと推測することができる。
配当金をお供え金や寄付金と計上することはさすがにしないだろう。
もし5億円の多くが株式投資だとすれば、
配当利回りを2%で計算した場合250億円もの原資を投資したことになる。
教祖100年祭のときに500億円もの収入があったことを考えると、当時の天理教が
「今後のため」に株式投資で資産運用していたとしても違和感はないと私は考える。 私は宗教法人の資産運用が悪いというわけではないし、
経営上の判断として私は妥当だと思う。しかし、疑問点は残る。それを以下に考察する。
今回の3つの事実は、天理教信者にとっては当たり前なのかもしれないが、
私は知らなかったし非常に驚いた。
多くの一般人も知らないことが多いであろう。
何に驚いたかというと、これだけの資産を保有していながら、
財務諸表を公開しなくていいということである。
そして、これらの原資はその多くが信者のお供えであることは自明である。
そもそも宗教法人法の目的は先述したように公益性と信教の自由の保証であり、
宗教法人が資産を大量に保有することなど想定していない。
少なくとも、文化遺産や文化財としての資産、または寺社が設置されている土地などの
直接的管理のためであり、直接関連のない企業の株式を大量に保有することは
想定されていないはずである。
(法律的には資産運用として宗教法人の株式投資は問題なし) これはマズイと思う。
何がマズイかというのは、公益性を担うはずの宗教法人が国民への説明責任を
果たしていないことである。
守られるべき宗教法人が、それをいいことに、
理念を逸脱しているのではないだろうかということである。
これは市場経済という点においてもフェアではないと思うのは私だけだろうか。
私は天理教に対して言っているのではなく、日本の社会制度、
宗教法人への課税制度に対する疑義として言っている。
宗教法人を市場経済で語るのは妥当ではないが、配当金を得るために、
信者から集めた金を投資に回し、それらの活動に対する情報公開がないというのは、
それは倫理的に許されるべきなのかということである。
(改めて言うが法的には問題がない) つまり、宗教法人というPublicな組織が、
株式会社というPublicな組織から株主として得ている配当金は信者のお供えを原資として
おり、株の配当金は宗教法人の資産として使われるべきである。
私は何が言いたいのかというと、お供え金も配当金も天理教全体のために
使われるべきであり、信者へもフィードバックされるべきということである。
より具体的に言うのでれば、天理教幹部だけが社会保障と安定した給与を
得ているのであれば、それらを天理教の構成員にも広げるべきだと言っている。
それは共産主義的な思想ではなく、社会組織としての責任という点である。
特に株式等の配当金は、お供え金の個人の意思とは性質が異なる。
株式投資は、利益を得るための、安定した組織運営のための資産運営である。
別の言い方をすれば、法人としての「儲けるため」のものであるとも考えることが
できる。他人の財布で儲けたのであれば、他人にも返す。借りたものは返す。
もし天理教が雑収入で得ている4億6千万円を、1万6千ある教会に配分するとしたら
約2万8千円を分配できる。たかが2万8千円であるから必要ないと考えるのか、
道義的責任としておこなうのはかは、まったく意味が異なるであろう。 宗教法人がおこなう投資というのは、
そういった性質を帯びていることを自覚する必要があるだろう。
一旦、お供えという形で出資者の手元を離れたお金を天理教がどうしようと、
それが天理教発展になるのであれば、
出資者への直接的な還元は必要ないと天理教は考えているのかもしれない。
しかしそうであれば公益性を担う法人に属する出資者には知る権利が担保される
べきであり、天理教は株式投資や資産など財務諸表を公開し、
広くその財務活動を国民に公開すべきであろう。
少なくとも私が信者であれば、
お供えの記名制の廃止と財務諸表の公開がないと信仰心の涵養と組織への忠誠なんて
生まれるわけがない。 例えば、こうしたお金の流れを天理教人と議論すると
「お供をした時点で、そのお金のことは言うべきではない。
それが真実のお供えである」と言われたことがある。
信仰者としてはそう考えるのが適切だと思う。
しかし、その説明で社会が天理教に理解を示してくれると思うのは全く違う。
私が申しているのは、天理教の信仰者に対して公開すべきであると
言っているのではない、社会に対して説明責任を全うしろということである
(金額を開示しろということではない)。
「少なくとも天理教本部は信者にアクセス権を付与できるように情報公開はきちんと
納得してもらえるように努力してます」と社会に説明しなくてはならない。
信者にきちんと説明して納得して信仰してもらうことこそ、
社会への説明と同義ということである。
「みちのとも」で公開されているような、どんぶり勘定や、
確認のしようがない再現不可能な数字では話にならない。
「みちのとも」でも「天理時報」でも公開すりゃいい。
信者もよくわかっていないのに、国民が納得することはあり得ない。
そして「お供えをしたお金のことを後でぐちぐち言うな」というのは暴論であり、
そういった権力を発する天理教人は、
社会に向かって説明責任を放棄していることと同じである。 もし天理教本部が「お供えされたものに口を挟むな」と理解し、
配当金などの法人の利益は役員等のみで消費するという考えをするのであれば、
信者を消費者と認識しており倫理的に疑問が残る。
ここから脱却するためには天理教はヤクザのような親子関係の偽装と上納金を撤廃して、
1万6千箇所あまりの個々の教会の自立を促進する必要がある。
記名を求めるお供え方法や、
大教会長が若者の進路や婚姻までに口を出す現状を見れば
(教義にはなくても実際にある)、言い逃れはできない。 ということで、私はこの件に関しても、
一定の資産運用をしている宗教法人への課税はおこなうべきだと思う。
こういった事実は行政や研究者にきちんと伝えていきたいと思う。
教祖100年祭のとき、天理教の収入は500億円もあった。
その金は、どこに消えたのか。今回の調査で、その一端が垣間見えたと思う。 >>678
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く >>679
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