戦前の廣島は薩摩閥や長州閥が跋扈した胡散臭い街だったからなあ。
地元でまともなのは大正期の総理大臣・加藤友三郎くらいのもんだ。
彼は修道で学び、彼の父も修道で教鞭を執った。

まあ修道自体は長州閥とは懇意だけどね。
かつての母体の広島藩も長州戦争ではほとんど攻勢かけなかったし。

修道は私学として中立性を保ち、政府やその傀儡の県関係者とは
距離を置きたかったのだと推察する。