先週の天理時報を読む。天理大学の宗教学者が「無縁社会」について論じていた。
「無縁社会」という言葉はNHKの番組に由来するが、
それ以降天理教の「無縁社会」の引用回数は非常に多い。
私はこうした天理教の悲観的な印象形成に対して「あんまりよくないんだけどな〜」と
思いつつ見ている。
言葉を与えるということは、そこから抜け出せないということでもある。
たぶん今後天理教は、ずっと「無縁社会」と言い続けるだろう。
なぜならこの言葉は「最近の若者は・・・」という若者論と同じで、
いつの時代になっても終わりがないですもの。
そしてそこからなかなか脱構築できない。
加えて「無縁社会」と言うことで自己の存在意義を強調できるのである。