しかし、最近になり、この辺の事情も怪しくなってきたと感じることもある。
私は教祖130年祭の真柱の講話の録音ファイルを入手した。
その中で、真柱は教祖が亡くなる直前の歴史を読み返し
「律が怖いか、神が怖いか」と人間に決断を迫る場面を想起した。
それは法律を取るか、神を取るかの二項対立を教祖の言葉として
人間に述べた場面である。律というのは警察の取り締まりのことである。
つまり、警察の取り締まりを恐れてお勤めをしないのか、
警察に捕まってもいいからお勤めをするのかということである
(当時は新興宗教に対する警察の取り締まりは非常に厳しかった)。
結局、お勤めをしたが警察には捕まらずに済んだという歴史の一部である。