当事者の体験談に対しては、私は何もいう気はない。
しかし、これを取材し、記事にしようとした天理時報の記者と編集長は非常に
バランス感覚と文章能力に欠けた人物であることは間違いない。
なぜなら、この文章から読み取れることは天理教では病気になれば
医学よりも信仰が大切であるということになるからである。
バランス感覚にかけるというのは、この文章を読んだ者の多くが、
輸血を禁止し社会問題になったエホバの証人の記憶が蘇るからである。
医師のいうことなんかどうでもよくて、天理教本部にいけば治るというのは、
現代医学への否定とみられても仕方ない。
天理教は自前の病院を持っているのに、このような文章を書いていては、
いつまでたっても天理教は社会に受け入れられないであろう。