例えば、「人生どのように生きるか」というアポリアに対して
信仰を持たない人々は答えなんて見つけられないまま死んでいきます。
もしくわ自分なりの答えを持って。
しかし天理教人なら「陽気暮らしのために生きる」という一応の
方向性があるわけです。しかし人生には喜べないときも多々あるわけです。
そうした時に、喜べない時にどのように陽気ぐらしを考えるか
という点はまだまだ天理教人の未熟な点であると思います。
教義と実生活の点での結びつきがイマイチ感じられないのです。
特定の個人がどうだというのではなく、全体的傾向としての主観ですが。