天理教は新興宗教団体として、一定の市民権を得ている。
それらの大きな要因に、天理教は政治的な発言を多くしないという側面がある。
某学界などは政治的発言というよりも、
たびたび政教分離の俎上に挙げられるほど政治団体と一体化している。
そこには団体として強力な求心力もあるだろうが、
一方で宗教団体が政治活動をおこなうキナ臭い嫌悪感を感じる人は多い。
その点において、天理教は比較的ゆるく、開放的で自由な雰囲気がある。
天理教も過去には特定の政治家を応援したりしたこともあったようだが、
近年では特定の政治家や政党にコミットすることはない。
私も、そのような天理教の姿勢には好感を持っている。
個人がどのような政治的思想・信条を持っていようと、自由が担保されている。
また過去にも書いたが、世論を二分するような議題には天理教が関わることは
賢明ではない。それは政治的目的を持った政治団体だけでよい。
天理教の金科玉条は「陽気ぐらし」であり、政治的達成ではないからである。
そんな中、議論が沸騰している従軍慰安婦問題について天理教という名前を
最近たびたび耳に目にすることがある。
そのソースが以下のリンクである。
ここから各ブログなどで拡散されているようである。
https://www.facebook.com/shun.
ferguson.3/posts/668771989875017