ただ、周りにいる人間にとっては、
バランス感覚を逸した強権的な会長に巻き込まれることは災難となる。
インターネットを見れば、
天理教被害者の会や天理教に批判的なサイトが検索結果の上位に来ることは、
そこにアクセスする人が多いということであろう。
火の無いところに煙は立たないように、
天理教に対して被害的感情を抱く人は少なくないようである。
つまり、会長の個体差が大きいため、今の天理教ではどの教会や系統に属するかで、
その後の人生は大きく変わるのである。
良い会長に当たれば、自身を高める信仰ができ、
悪い会長に当たれば、苦しむだけの信仰でしかなくなる。
悪い会長こそ「ここに繋がったのは、あなたにいんねんがあるから」
という社会性のない勘違い神発言が出てくるであろう。