この違いって、一体何なんでしょうか?
僕が天理教を疑いすぎているだけでしょうか?
ひねくれて、考えすぎでしょうか?
なんだか「善意」という皮をかぶって「売名行為」を行っているような気がしてくるのです。

多分、すぐに答えは出ないと思います。
時がたち、震災が落ち着いた頃、天理教組織が本当の「善意」ある集団なのかが判明すると思います。
なぜなら、「心から人を助けたい」という「善意」があれば、今天理教が直近で取り組まなければいけない課題は天理教組織の抜本的改革のはずです。
本当の「善意」ある人間がいる組織なら、誰の目にも明らかなことです。