12歳の試験

要領よく丁寧に数字揃える秀才型だけでなく、不安定ながらも覚醒している天才型をも柔軟に合格にできるのは、12歳の試験なればこその効用ではないか。

異才型を甲陽に迎えられるのは、甲陽としても、社会としても「おもろい」。

中学入試に限定したことを最大限活かすならば、このように柔軟に合格判定を出すということになるのだろうな。

これは、官吏志向、数字至上主義的な灘とは対照的か。