新制その5
低迷続きの公立普通科も昭和39年から入試による単独選抜となり、徐々にレベルアップはしたが、私学には水をあけられた。
高知の小学生は中高一貫校目指して、塾通い、中学受験は当たり前、他に産業がないため受験産業が隆盛となる。
その中で土佐塾が最大手となる。
公立は学区が少しづつ拡がり、O手前高を頂点に学校格差が出てきた。
Oの内は女子高に戻り、昭和43年にO津高に理数科、西高に英語かを設置するなど特色を出すようになった。