組織を維持することやお供えを集めること、信者数を競うこと、
別席者数を増やすこと、おさづけの取り次ぎ数を競うことなど、
このような信仰というよりは人間思案の見栄や自己満足のためにやっていては、
教祖が望んでいることとは大きく離れて行くようにも思います。教団が今後、
どのようになるかは正直なところ、どうでもいいことです。
 なぜなら教祖が直々に説かれた教えを守らず、
人間思案ばかりで人の道を外したことばかりしていたら、結果は明らかだからです。
そのような事例はこの教団に属していればたくさん見聞きしているはずです。
また表に出ていなくても、
それぞれ教会長・信者が自分の所属する直属大教会の事情を見れば、
蒔いた種がはえてきていることを十分に理解できると思います。