あくまで貸主は全知全能の親なる神であって、我々は永遠の魂、借主な訳です。
神は身体他一切を無限の親心をもって貸し、我々は一切を永遠に借り受け続けている訳です。
と認識していれば、我々は永遠の人生街道を、無限の感謝と共に歩んでいる筈です。
神は貸した身体他一切を早く返せとかレンタル料をよこせとか言っている訳ではないのです。
さらに神はお地場に天下り続けて、人類をより陽気暮らしの深まった、甘露台の世へと近づけようとされた訳です。
中山みき様と飯降 伊蔵様のお口を借りて、魂の進化の頂点周辺が神格者へと育ち磨かれるのを待ちかねて、人類の心を先導善導する為に天下った訳です。
だから「神の言葉を聞き続け、感謝の心を深め続け、自他共の心身共の健康を毎日祈る」その勤めに後継者諸氏は異論を唱えている訳ではないのです。