一般的な感覚では、先代が助けられたことで、より仲良く両家でお付合いをさせて頂いたり、困った時
には出来るだけ力にならせて頂くということはあるでしょうけど、先代が助けられたからといって、それ
を理由に、子供や孫が定期的にお金を納めたり、ノルマを課せられるなどということがあるでしょうか?

「助けられた」というのが、例えば多額の借金に対し、多額のお金を援助して助けてくれたなどという
ことであれば、子や孫が出来るだけお借りしたお金をお返ししたいと思うのは理解できます。

しかし、例えば、信仰に誘ってくれたから、話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれた、お祈りやお助け
をしてくれたなど、普通の人間関係の中で行われるような「好意」の範囲ともいえるようなことを、もしも
「助けた」と言っているのであれば、普通の感覚であれば、話を聞いて万一、子供や孫などがお金を
払います。と申し出たとしても、懸命な人であれば、辞退するのでは。

また、神様から身体をお借りしているという考え方は、人生を見つめ直し、衿を正すのには役立つ
と思いますが、神様はレンタル料など請求するでしょうか?

また、上記のようなことに気付いていても、そのようなことを収入源として生活し、仕事とする
システムを作り上げてしまった以上、あくまで