呼び止められた時点で
「なんか(よくない話が)くるな」と思っていたが、おぉ予想通りである。
忘れてはいけないが私は天理教人ではない。
天理教に対して信仰を持たない。
しかし昔からお世話になっている近所の天理教の教会さんである。
お世話になっている人が「困っている」ということならば
「少しくらい協力したい」と思うのは当然である。
私は信者ではないので、定期的なお供えや高額のお供えは不可能だが、
数ヶ月に一度教会に行くときにお賽銭に入れる小銭に数百円くらいを
加算することは難しいことではない。
今まで私が数ヶ月に一度教会に行くときに参拝したり賽銭箱にお供えをするのは、
天理教信仰というよりも、
広い意味で神聖なるものに対する畏敬の念を込めた信仰心である。