>>240
どこが嘘つきなのかな?
昭和期の中学受験を全く知らない方なのではないだろうか。(あえて説明はしない)


東大合格数推移
    県浦和 武蔵 巣鴨 城北 都立西 筑附 桐朋 開成 麻布 海城 日比谷  中入年 小4中学受験開始 ※何れも現役合格の場合
1991年 58  70  44   6  24  46  40 191 102  36   7  1985年 1982年
1992年 47  85  78   5  18  38  39 201 126  42   8  1986年 1983年
1993年 48  47  59  16  31  48  50 171  96  51   1  1987年 1984年 
1994年 49  58  64   7  18  35  41 197 105  47   7  1988年 1985年
1995年 50  57  63   7  21  47  55 170 101  68   4  1989年 1986年
<埼玉県公立、中学からの偏差値追放>
1996年 24  66  53  11  12  37  47 158 103  45   3
1997年 32  58  63  17   8  46  41 188  93  45   6
1998年 24  44  46  11  13  35  25 205 101  54   2

※中学受験は小5から始める場合もあるが、上の中学入学年、小4中学受験開始年は現役合格の場合で、浪人の場合、年が繰り上がる。


都内には戦前からの多くの私立中があるが、1980〜90年代、東大合格実績が高い学校は中央総武線よりも北に位置する学校が多かった。
埼玉県民や千葉県民が原動力になって東大進学校に押し上げた。開成(ルーツは千葉)が麻布を、桜蔭が雙葉を超えたのもこれが原因。
武蔵、巣鴨、城北はかつての典型的な埼玉校で(巣鴨は千葉も多かった)、
前2者はかつては現在よりもずっと東大が多く、城北も全盛期は東大20人台だった。>>240に列挙された学校で豊島岡は21世紀の伸張。
また、埼玉県民の比率が20~25%だというが、今はそれだけいない(25%以上も豊島岡のみ)というのが適切な認識。
かつて都内一貫校は現在よりも広域から通学していた。