国立大学は1978年入試まで一期二期校制の入試でした。
埼大は二期校でしたが、この時代は横国大や医科歯科大とともに一期東大の併願校で、東大文3や理1理学、理2の併願校は埼大が定番でした。
1970年代、早稲田は既にブランド大として扱われており(慶應はいつの時代もステータスが高い)、早慶志向も強かったのですが、
全国的には東大受験生が早慶に進学するのは二期校にも不合格の場合でした。当時も早慶の難易度は高く、早慶が滑り止めになる二期校は埼大や横国などに限られていましたが。

埼玉県内では、優秀な高校生は一握りの東大一橋東工お茶大などの当時の最難関一期校や東北大志望もいましたが、
二期校の埼大を第一志望校にするのが普通で、早慶や津田塾、東女がその次善校でした。

現在の後期入試は次第にこのシステムに近付いています。国立後期に不合格の早慶合格は少ないため、地方からの早慶入学者は少なく、
また入試合格者も減っています(受験の意味が無い為)。多くは東大の併願合格者で浪人中心、早稲田はセンター利用この人たちは合格するだけでまず入学しません。