天理高 菱川和則 オナ禁マラソン [無断転載禁止]©2ch.net
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修養科がどんなところかなど全く知らず、
あんなにも拘束されるところだとも予想せずに、ただ流されるまま、という感じです。
天理で会うご年配の方々には「若いのに偉いね。親御さん思いだね。」などと褒められ、
それも不気味に思えてしまって、正直エライところに来てしまった、
などと思う始末でありました。 >>754
偉そうなことぬかして、働けや、屑。
このあたりで今年も正月早々から暴れ続けるお馴染みの天理教キチガイ 辻正彦(奈良県立畝傍高等学校46期、42歳、無職、
独身、働く気無し、実家に寄生する蛆虫、人間の屑)をご紹介します。
液クロの菱川社長から受けた恩を忘れ、菱川社長の誹謗中傷を続け、母校の奈良県立畝傍高等学校の看板に泥を塗り続け、
大阪大学理学部の看板に泥を塗り続け、奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)の看板に泥を塗り続けて、はや、10年超。
自分の逮捕歴を報じた新聞記事の自分の氏名欄を、菱川社長の氏名に書き替えるなど、全くの論外の行動を続けています。
そんな哀れな 人間の屑・蛆虫 辻正彦くんの連絡先は下記の通りです。
住所
〒634-0071 奈良県橿原市山之坊町43−2
電話番号 0744-24-0266
電子メールアドレス
daiyakaisei@gmail.com
daiyakaisei@yahoo.co.jp ネットで「天理教」を検索してみると
「天理教平和の会」という団体がでてくる。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-09/2007040914_01_0.html
扱われている媒体が「赤旗」って・・・敢えて突っ込まないが。 この団体は閣僚に対して9条を守るよう要請したようだ(過去の話だけど) 彼らの主張は、以下上記URLより引用。
<<「おふでさき」をひき、「教祖の教えの根本は『世界はいちれつ兄弟姉妹』
『陽気ぐらし』世界の建設」であり、「陽気ぐらしとは『むほんの根がきれる。
すなわち恒久平和が実現される』(天理教事典)」ことだと指摘。
「こうした教祖の教え、つまり天理教立教の精神は、
恒久平和を原則とする日本国憲法九条の精神そのものと私たちは確信し、
現憲法九条をまもることこそが、教祖の尊い教えをまもり広げること」
だと述べています。>>
なるほど。分かります。
私も個人的思想としては保守リベラルと言われているので、
9条は守るべきものだと思います。 しかし、彼らの天理教の教え=9条を守るという推論に対しては同意しかねる。
それは天理教立教の精神が恒久平和を原則とする憲法9条の精神そのものだと
確信するに至った経緯が読み取れないからである。
天理教の教え=平和 というのは分かる。
しかし、9条=平和 というのは未だ社会的合意(成熟)は形成されていない。
三段論法のようにa=b、b=cはa=cで考えると
天理教の教え=平和=9条となってしまう。
これは飛躍しすぎてはいないだろうか。 なぜ9条が恒久平和になるのか、という金科玉条がない。
9条がもたらす平和とは何か?
天理教の陽気暮らしは平和なのか?
平和とは何なのか?
その答えには、辞書(天理教辞典、そんなものがあるのか)で引いた程度の定義しかないのである。
彼らの推論には日本の平和という近視眼的、独善的意図しか見えてこない。 私は当初、彼らの主張を知ったときは「おぉやるなー」と思った。
しかし彼らがどんな理論と哲学を持っているのか読み取れなかった。
また、それを丁寧に説明している形跡もない。
飛躍した推論というのは精神医学では妄想様観念と言う。 天理教の陽気暮らしと世界の平和、日本の平和を一緒にしてよいのだろうか。
しかし、こんなナイーブな問題を彼らは堂々と主張し、為政者に書簡を送るくらいである。
(為政者に対して「9条守れ」という書簡を送ることが天理教的行動として疑問であり、
慎みというものは感じられない) 彼らの単純性を省みると「赤旗」に掲載されている意味がなんとなく読み取れる。 天理教は政治的スタンスにはあまり干渉しない。
それはとても大切なことであり、私はそういった姿勢の天理教に好意的である。
政教分離を考えるならば、政治的スタンスを明確にする宗教者は宗教者としても疑問である。
(「政治的スタンスをとらない」というスタンスは別にして)
もし、彼らが本気で平和を考えるならば、政治的スタンスを明確にすることは賢明ではない。 彼らの視点では、天理教教団が政治に対して消極的過ぎる姿勢も彼らを苛立たせているだろうと思う。 私は以前、「天理教教団は意見を明確にしろ」と言ったことがある(たぶん過去のブログで)
それは平和の会の人たちと同じじゃん?って? いえ、違います。
私が教団に対して意見を明確にしろと言ったことは、
平和の会が政治的意見を明確にすることとは水準が違う。
それを説明すると、私が「教団は主張すべき」といったのは、確かヒロシマや戦争を論じたときだと思う。
つまり、私が主張したいのは天理教の政治的スタンスではない。
戦争反対やNo more ヒロシマというのは政治的スタンスではなく
既に社会で合意形成された常識なのである。
(右翼などは政治的スタンスとして戦争賛成を言うが、右翼の根底思想は戦争を止める(平和達成)
ために戦争という手法を用いるというパラドックスであり、本来的には右翼は戦争を望んでいない) 戦争反対などという誰も望んでいない「当たり前」のことを主張しなさいと
私が言うのに対して平和の会は具体的な政治スタンスを明確にしろ、
と言っているのである。 国会を見れば分かるが、政党や派閥によって色々な意見がある。
しかし、どんなに意見が違おうとも根底には「日本を良くしたい」というものしかない。
私は当たり前のことを当たり前に言えと言っているだけ。 私の言っていることは政教分離において十分可能である。
しかし法律にあーだこーだと口を出すことは政教分離ではない。
彼らが行っていることは政治に干渉できる第二の学会でも作ることなのだろうか。
学会と公○党の関係を見れば、それが不透明で不健康なことぐらい皆知っている。
(同時に宗教全般に対する国民の畏敬の念を低下させている部分もなくはない) なぜなら彼らの意見(9条を守れ)が政治に介入することは、政教分離を否認することになる。
(書簡を出してまで、まさか自分たちの意見が通らないことを望んでいることはあるまい) どれにしても彼らの説明不足は否めない。
彼らが政治に言及する理由。
平和が目的なのに、わざわざ9条に固執する理由。
天理教という名を冠することへの理念。
これらにおいて私は宗教、政治、平和に対する軽卒さしか感じられない。 3周年大会において全国から30人弱の人数しか
集まらなかったそうである。会員は70人程度。
そのことを考えるなら、この会に参加しない天理教人は
怪しいものには近づかない、なかなか優れた身体感覚を持っているのではないかと思う。 それは宗教と人間というものをきちんとわけておられる点であります。
その融合を目指すために信仰があるのだと思います。
それがごっちゃになっている人は見ていてシンドイですね。
もちろん、そう考えた時に人間として尊敬できる天理教人は沢山おられると思います。
「誰に出会うのか」この問いが天理教を信仰する上で
致命傷になりかねる状況では天理教の信頼は高められないと思います。 >>792
自分が天理教だって描く好きなんだね
エルシーサイエンスは天理教 菱川和則を嘘求人はやめろ
http://www.jtg.co.jp/db/jtgg7t1.html
これまで日本を守る使命についてこられた自衛隊隊員の再就職で騙すのは悪質だ >社員の生活の安定を第一に考える
>未来を見つめた会社!
修養科に行くことを断るとすぐに解雇する会社のどこが
社員を大事にする会社なのか
嘘をつくのもいい加減にしなさい!
エルシーサイエンスの菱川和則 >製造・販売を行っています
販売はやっているよね、確かに。
中古販売
あと、キムワイプのルートセールス。
でも製造はしてないよね。
嘘はいけないよ、菱川。
個人経営で中古販売なら立派な事業だよ
盛る必要なんかない。 >韓国YLインスツルメンツ社の日本総代理店として、輸入、販売を全国的に行います。
そもそもこんな会社のクロマトグラフィーなんて誰も使わないんだわ
何でもっとユーザの多いメーカの代理店にならないの?
やっぱり日本では菱川和則の悪評が広まってるから代理店契約無理なんじゃないですか?
代理店契約料が高いとかが理由なら、私なら中古販売に特化しますね。
個人事業なんだから中古販売だって立派な事業
ニッチなところを狙って仕事をしていくのが零細企業の生きる道だからね 先週2人の天理教人と話たが、
揃って口にするのはコンクラーベが羨ましいということであった。
ほぼ世襲制を採用している天理教では、
その構成員が世襲制に大きな不満をもっているということであろう。
社会学的な見方をすると、世襲制は差別(階層)と密接な関連にある。
上から見ると、直線的な伝達ができるものの、
下から見るとどれほど頑張っても身分が低位固定される無力感となる。
意識的にも、無意識的にも、その延長には上位者による操作や、
抑圧が生まれることは歴史が証明している。
「おらぁ俺の言うこと聞かんかい」というように。
差別までいかなくとも、天理教のヒエラルキーにコミットする権力者は、
その階層に甘えている節が多々見られる。
特に理の親という権力者の組織に対する甘えは、構成員の不満として燻っている。
私見でも、天理教の権力者の言動は、
企業におけるメンタリングとはほど遠い甘えの姿勢が強い。
それらは修行の身である青年や信者に対する
「伏せ込み」「理立て」「修行」「たんのう」という言葉に置き換えられる。
しかし、常識的な思考をするほど、
それらの言動は組織に甘えた結果の操作であることに気付く。
会長と言われる人間と話せば、
彼らが信者たちに対して「俺が言えば言うことを聞く」という傲慢さに気付くだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています