Aおじが何故執拗に東を貶めるのか不思議に思う人も多いだろう
以下のような背景があったのである
Aおじが高校を受験した昭和40年代市立高校の受験日は道立と違っていた
新設の市立高校に優秀な生徒を集めるための札幌市教委の考えであった
札幌市内の優秀な中学生たちは第一志望に東西南北月寒の道立五強
滑り止めに男子は光星女子は北星を受験していた
中高一貫などはまだなく私立高校に進むことは負けを意味していた
そこに市教委は付けこんだのである
東西南北月寒落ちがほしい! 市教委の偽らざる願望であった

Aおじは南は無理でも東ならひょっとして受かるかもしれない
担任からそう言われ東と旭丘を受験することにした
ひそかに思いを寄せていた同級生のB子が東を受験することもAおじを勇気づけた
東に受かったら告白しよう Aおじは毎晩ベッドの中でそう考えていた
セーラー服姿のB子を想像し下着を濡らしてしまうこともあった

Aおじは中学時代野球部に所属していた
努力家ではあったが生まれつきの不器用さはどうしようもなく
三年生になってもレギュラーをとれず負けの決まった試合で思い出守備に付くぐらいであった
同じ野球部に一年からレギュラーの子がいた
たいして努力もしないがセンス抜群で勉強もでき女子に人気であった

昭和4X年の春
運命は残酷だった
B子と野球部のライバルは東に受かり二人はその後結婚した
Aおじはなんとか旭丘にひっかかり二人の仲を嫉妬で見つめていた
それ以来東に対抗心を燃やし2ちゃんねるの常連となった