語り継ぐ命 「人命第一のエレベーターを」

 大輔さんが所属した都立小山台高校野球部は高校野球の東東京大会の初戦に臨んだ。
 ベンチでは大輔さんの形見のバットと帽子がチームを見守った。
 甲子園を目指していた大輔さんは亡くなる1カ月前の大会で2年生としてただ一人、レギュラーに選ばれたていた
 =神宮球場で2006年7月14日、馬場理沙撮影

https://mainichi.jp/graphs/20190124/hpj/00m/040/001000g/13

 市川大輔さんが所属した野球部の部員らが歌う「千の風になって」を聴く父・和民さん(左)と母・正子さん
 =東京都港区の港区立障害保健福祉センターで2007年6月3日(代表撮影)
https://mainichi.jp/graphs/20190124/hpj/00m/040/001000g/14

小山台高校の文化祭での展示物
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2014年センバツ21世紀枠は8年めに入って進展がなく
シンドラーエレベーター社が 「責任を認めたら米国で集団訴訟だから謝ったら負け」ですっとぼけ続ける
「事件を風化させて逃げ切り」を阻止するための甲子園だったと思う。