一方で二代中山正善氏の作り上げたものが完成したときが、
天理教のピークでもあったと私は思う。
つまり二代真柱以降、明らかな発展は天理教にはない。
三代も今の四代も、二代の業績を維持・発展させたものの、
二代と同じようなリーダーシップや、
パワーを感じる逸話や社会にインパクトを与えるような業績は見当たらない。
彼の不在と時期を同じくして天理教も衰退している。
孤高のカリスマとしての存在は、
大阪の橋下市長と維新の会との関係とダブって見えるのは私だけだろうか。