「すきっと」という媒体は、角界の著名人へのエッセイやインタビュー記事が
中心になっている。それらの角界の著名人の語りの中で、この中山正善氏との関係を
想起する場面が多いことに気づく。
つまり、著名人や文化人が、過去に中山正善との関わり間接的にでも持っていたと
いうことである。
彼は1967年に没するまで交友関係は政財産業界から文化芸術まで幅広かった。
彼は東大卒で、政財界に留まらず、学術やスポーツまで幅広い人脈を構成しており、
それが天理教の理論的、社会的発展に大きく寄与したことはいうまでもない。
新興宗教法人が病院や学校や博物館や図書館など、
これらの社会的建築物を作れたのは彼の社会的功績だろう。
庶民の宗教として発展してきた天理教にとって、
インテリなカリスマとして彼が牽引してきた功績は大きい。
戦後という時代的なものもあったかもしれないが、
まさしく帝王学に近いパワフルなものである。
天理教と同時期に発生した宗教団体が、
天理教に圧倒的差をつけられたのも彼の功績だと私は考えている。