一方で、庶民宗教として発展してきた天理教にこれらの難問の負荷をかけるのも
可哀想な気がする。
ここまでの文章を天理教人が読めば「考えるのか、考えないのか、どっちだよ!」と
詰問されそうである。
しかしそれらは聖職者であるイリイチが「深い両義性」と言ったことに通じると思う。
イリイチもまた、挑戦的な宗教批判を展開してバチカンと喧嘩したことで有名であるが、
西欧社会の権力を大義にした操作主義を批判したことからも我々が学ぶことは
多いのではないかと思う。
天理教でも権力構造やお金など西欧社会の産物を多分に利用している。