しかし天理教人、特に一定の権力を持つ天理教人(教会長以上)にそのことを
理解している人間は少ない。
もし、人権に配慮するならば私が主張するような天理教的専門用語を人に向かって
言わないはずである。人に向かって言った時点でアウトなのである。
なぜならば、それを言う関係ではすでに上下関係が成立しているからである。
そして上下関係でしか意味をなさないからである。
アウトでない場合があるとすれば、それは信者が教会長に、
下の立場の人間が上の人間にである。
ちなみに同じ立場の人間同士でもセーフだが、
そもそもこの場合同じ立場などあるはずがない。
簡単な例を挙げると、東大生が「学歴って関係ないね」と言っているのと
同じ構図である。
相手が東大生でなかったら、相手は「東大生のお前に言われたかねーよ」となるし、
相手が同じ東大生でも学部や成績、親の職業などイラっとさせる要素は山ほどある。
ただ「理の親」が学歴より質の悪いところは信仰的(心理的)に拘束、
罪悪感を生じさせることであろう。
信仰がマインドコントロールと意識的に割り切っている方がおられるなら
私は感心したい。しかし、
一定の権力を得た天理教人が重罪なのは、それを無意識的に行っている点であろう。