埼玉県では1979年に公立高校普通科の学区が設置された。その影響が顕著に出たのは
西部地区の川高と松山高校。川高は浦和に行けない最上位層が集まり進学実績が向上した。
松山地域は元々上位層は熊谷か川越に抜けていて東京一工は出る年が稀だったため変化無し。
学区内から半数は入れないといけなくなった為、地元の下位層が増えそれに引きずられどんどん低下
した。学区制の影響ではなく人口減の影響を受けたと思われる熊谷は衰退していった。

学区制が維持されたまま90年代に入ると、推薦入学枠が設定され、また四天王(浦和・熊谷・川越・熊谷)
に次ぐ二番手高の大宮・熊谷西・松山に全県区の理数科が置かれることになった。
すると、90年代半ばから浦和、川越が低下しだした。逆に大宮が伸びだした。
熊谷はOB会が資金出して、河合塾と提携し学内で受験指導を導入したが効果を上げられなかった。

県立高校全般の低下(浦和の東大合格者が半減したことは象徴的)に危惧を抱いた県は、推薦制と学区制を
廃止した。浦和はなだらかな回復基調。川越は衰退が続く。理数科に引っ張られて普通科も大宮が躍進。
熊谷は、更に衰退。

所期の改革目的が成果をあげるか、どこが恩恵を受けるか逆風になるか、やってみないと分からない。
県が掛けられる予算に限りがある中、競争と公平の両要請をバランス良く組み合わせて、なるべく多くの
住民の満足が叶う政策が期待される。