天理教人は、神と親(理の親)を同一視して崇拝している。
しかし天理教人以外の人間が見ているのは実態のない神や裸の王様である親
(理の親)ではなく、自分の人生・生活を豊かにすることでしかない。
ここに天理教と一般社会との間に大きなすれ違いがある。
だから宗教に寛容さを求める一般の人たちは、
天理教を信仰したところで自分の人生・生活が豊かになるなんて到底思えない。
だって自分を天理教に誘ってくれたメンターである目の前の天理教人は
「こっち」を見ずに、神や親の方しか向いていないんだもの。
だから天理教は衰退するだけなのである。