天理教も寛容な教義を持っている
(天理教特有の禁止事項や排他的な折伏は特にないという意味)。
そういった意味では、非常に好感が持てる。
しかし一旦、組織の中に入ってしまうと、その寛容さは失われる。
それが大きなテーマである。
天理教を外から見たときの寛容さと、中にコミットしたときの非寛容さは、
天理教人たちが口にする「教えは好きだが、組織は嫌い」という言葉に集約される。