私が言いたいことは、天理教を離脱せよということではない。
そんなことではなく、憲法が保障する信教の自由というのは他の法律や教義で
縛られるようなものではく、極めて重要であるということである。
この憲法が保障する自由と民主主義は、我々の生活の根幹をなすものであり、
誰にも侵す権利はないということである。
そして、これら自由と民主主義の獲得は天理教の歴史と同じく、
先人たちの血と涙と汗の結晶であることは言うまでもない。
我々はそれを決して軽視してはいけないということである。
不幸なことに、この自由と民主主義を軽視する言動が今の日本社会には溢れており、
時に天理教人からも聞かれることが残念でならない。
信者側からしてみれば、天理時報という権力側から、
わざわざ「良心への期待」などと言われる筋合いはこれぽっちもなく、
権力の勘違いが甚だしいということである。
権利擁護の教科書でも読んではどうだろうか。