筑附は旧制東京高等師範学校附属以来の歴史。
全盛時代は日比谷の併願高校であったが、W合格なら日比谷選択者が多数派。
ある時期から合格者の招集日をずらして、都立とW合格不可能になった。
筑駒は戦後の創立。当初は附属中から都立名門高校進学のコース。
附属中学の学力は当時、東京一の高さだった。
昭和30年代後半に附属中から都立の受験が認められなくなって進学実績が伸び、都立学校群導入で全国上位校として補強された。
学附も戦後の創立。附属中から都立名門高校進学のコース。高入は全国学区だったので、東京都内以外の中学卒業生で難関大志望者の受け皿だったが名門都立名門未満の実績。
都立学校群導入で附属中の上位が附属高校に進み、もともと全国学区の高入生の学力が上がって全国上位校になった。
お茶の水女子大附属は旧制東京高等女子師範学校附属が前身で、戦前からの名門。戦後は東大よりお茶の水女子大への合格者が多く、全国1位だった時期がしばらく続いた。
学校群導入で高入は女子上位の受け皿だった。

都内において戦前戦後を通じて全国上位だったのは筑附で、学校群前の都立全盛時代も東大合格者70名から80名をコンスタントに出していた。

戦前から名門であった広島高等師範附属であった広島大附属や、終戦直前に科学英才教育学校として設立された旧制金沢高等師範学校附属が前身の金沢大附属がある。
その意味では筑附、お茶大附、広島大附属が戦前からの名門。広い意味では金沢大学附属も含まれる。
数学物理化学生物の理系秀才向けの科学英才教育学校は終戦直前に東京高等師範附属、東京女子高等師範附属、広島高等師範附属、金沢高等師範附属の4校に設置されたが占領軍の指示で終戦後には廃止となった。
そのまま維持されていたら国立大学附属理系英才教育高校として現在も存続していたであろう。