昭和35年度の生徒会長、正確には「会長代行」だ。
その年は会長立候補者がいなかったので、規約により、
代議員会の中から近藤という生徒が「会長代行」に選ばれた。
近藤は、理科系の部活動もしていたらしい。

その近藤が、任期途中に服毒自殺した。
しかもその毒は、自分で藻岩山からトリカブトを採取して精製したらしい。
遺書はなかった(ということになっている)ので動機は不明だが、
会長代行の心労が原因だろう、という説が最も信じられた。

日本中の高校生が安保闘争の空気を引きずっていたその当時、
生徒会長には、今では想像もつかない重荷があったのかもしれない。

この事件をきっかけに、それまで1年だった生徒会長の任期は
前期・後期のそれぞれ半年に短縮された。

生徒会室か図書館に古い「旭陵」が保管されているはずなので、
昭和35〜36年のものがあれば、もっと詳しいことが書かれているかもしれない。