言語も映像も映像として捉える視覚思考者は、他人の話をまとめたり、映像を言語化する怪談師には向いてないかもと思ったが
稲川淳二は映像を見ながら怪談を作ってるとか聞いたことがある
だからこそ細かい描写にこだわれるってことだろう
言語思考者が稲川のように描写にこだわっても、絵が浮かんでこないから稲川の真似にしかならないのでは