ちょっと思いついた考察なのですが、神様に対する畏敬や感謝の気持ちを持つことを否定するような空気(いないからや無能などとさまざま)や神様以外への崇拝を作り上げられ大衆の心から神様が消されてしまったとします。すると国の運営を任されている方々は神様を否定して敬わない国民を奴隷扱いしてもいいよねという免罪符を手にするのではないでしょうか
神様を敬い感謝し愛される生き方をしている人々を奴隷扱いすると神様の怒りに触れるしそれが恐いので神様を敬い感謝し愛される生き方を否定したり別のなにかを崇拝させたりして大衆の心から神様を消したがっているんじゃないのかなと