科学法則が支配する世界では、精霊や霊魂、神さま、仏さまの存在は否定されます。科学的な法則性や方法論を超えなくてはこれらは肯定できなし、観測することもできません。
近代の物理科学とは、主体・主観から独立して存在する外界の現象だけを対象にして、客観的に条件づけられる概念や法則だけを真理と定めることを特徴にしています。
一見して複雑多様で一般性をもたないように見える世界のなかから一般的に共通する概念や法則を発見することで、その性質や機序を理解するのです。
近代科学が対象とする世界は、主体・主観から離れてそれ単独でなりたつ客観的で静的な実体である物質から構成され、
全体としても、またそれを構成する個々の事物としても、それ自身のみでなりたつ存在だと考えられています。
この考えは仏教でいうところの「自性」にも対応します。自性が支配する唯物機械的な世界では、インド・中国哲学の自然原理である梵我一如や縁起、気の概念などの有機体的な自然観は否定されます。
同じく生物=有機体の動的秩序にみられる合目的性、自己組織化、内的で有機的な関係性、相互依存性を自然原理として導入した
アリストテレス自然学やプラトン主義、ヘルメス思想などの古代中世西洋の自然観も成立しません。
ニュートン力学の成立によって科学の近代化が起きるまでは、世界は生きた存在でした。
世界全体とは、有機的な統一を保って自己発展し、自発的(主体的)に秩序化するという生物的な特性もつと考えられていたのです。人間さえも有機的世界の秩序の一部でありました。
しかし、ニュートン力学では、ほかから分離してそれ単独で自存(自性)する存在は外から運動が与えられたときにのみ動くし、存在するために外在するほかの対立物を必要しないと考えられています。
生物や精神を含めたあらゆる現象は、それ自体としての意志や活力をもたない受動的な物質から構成され、
外から運動を与えられることによって定式化された法則性のみにしたがって機械的に進行するのです。
世界を説明するのに、生気や精霊、霊魂という物質それ自体がもつ動因、また、神さまの意志や摂理も不要です。