仏様からのメッセージ 2スレ目
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仏様からのメッセージをお伝えします。
特定の故人という意味のホトケ様ではなく、文字通り、仏様からです。
その他、感じたこともあわせてお伝えします。
過去世であったり、守護存在であったり、その人によって色々です。
逆に過去世を視てくださいのようなリクエストは
ご遠慮下さい。指定されても、情報をうまく拾えるか
どうかはわからないので、あくまで自分が感じたことになります。
同じく、悩み事があったとしても、〜について教えてくださいのような
形での依頼もご遠慮ください。変に先入観を植え付けられると
迷走してしまいますので。
【ルール説明】
★僕が受付開始を宣言してから、受付終了を宣言するまでの間に
依頼を書き込んでくださった方に順番にお伝えしていきます。
★依頼時に名前欄に何か、文字を打ち込んでください。
単語でも一文字でもいいです。意識を向けやすくなるので
お願いします
★ペースはスロー進行なので、依頼された方は
まったりとお待ちください。
★ルールは仮です。状況に応じて、多少は融通します。
(自分の受付終了宣言に、数秒の差で間に合わなかった等)
おみくじ感覚で楽しんでいただけますと、幸いです
1スレ目の時に別スレでなぜか、性別について質問がありましたが
男です。いい歳のおっさんです。
お不動様を愛してやまない僧侶です 任天堂の超大ヒットゲームポケットモンスターのキャラクターから、レプティリアンの支配を証明しよう! 俺が注目したのはこのキャラクター
ツツジ
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8
『ポケットモンスター ルビー・サファイア』(第3世代)に初登場したキャラクター。
名前の由来は植物の「つつじ」。
ホウエン地方のカナズミジムのジムリーダー。いわタイプのポケモンの使い手。
勝利すると「ストーンバッジ」と「がんせきふうじ」のわざマシンを貰える。 別の紹介ページも
ツツジ
https://www.pokemon.co.jp/ex/oras/character/08.html
三角のストーンバッジに注目してほしい
色もどことなくピラミッドを連想させる
ストーンにピラミッドといえば、そう、フリーメイソンだ 珍しく、今日は昼間から依頼募集を開始します。
今まで、夜にしか募集してないから
誰も見ないかもですが ツツジの花言葉は色で意味が変わる? 花の特徴や名前の由来を徹底解説!
https://oggi.jp/6668222
ツツジの花言葉を色別に紹介
まずは、「ツツジ」全般に当てはまる花言葉をチェックしましょう。「慎み」や「節度」、「節制」、「自制心」、「努力」、「訓練」などが主な花言葉です。群生して咲くようすは華やかですが、どこかおしとやかな印象のある「ツツジ」なので、「慎み」などの花言葉はぴったりですね。「ツツジ」といえば、ピンクの色の花を思い浮かべますが、白や赤っぽいものもあります。次に、「ツツジ」の色別の花言葉を見ていきましょう。
白のツツジの花言葉
白のイメージといえば、純粋無垢や清らかさなどではないでしょうか? 白い「ツツジ」の花言葉はそのイメージ通り、「初恋」です。甘酸っぱい初恋を思い出させてくれるような花言葉ですね。
ピンクのツツジの花言葉
ピンクの「ツツジ」の花言葉は、「愛の喜び」です。愛する喜びに満ち溢れた気持ちが伝わってくるようですね。 赤のツツジの花言葉
赤色の「ツツジ」の花言葉は、「燃え上がる想い」や「恋の喜び」。情熱的なイメージの赤に合った花言葉ですね。
紫のツツジの花言葉
紫色の「ツツジ」の花言葉は、「美しい人」。紫は気品や上品といった印象なので、この花言葉がつけられたのでしょう。 日本語のツツジの花言葉ではそこまで気になるワードはない
しかし、ツツジの英名の花言葉になると少し違ってくる ツツジの英語での花言葉は?
「ツツジ」は英語で、「Azalea(アザレア)」ですので、「アザレア」の花言葉を見ていきましょう。節制や禁酒を意味する「temperance」、お体を大切にという意味の「take care of yourself for me」、もろさを意味する「fragility」がそれにあたります。
ちなみに、「temperance」という花言葉がつけられたのには、「アザレア」という名前に関係が。「アザレア」はラテン語で乾燥を意味する「azaleos」がもとになっていて、これは、「アザレア」が乾燥した土地を好むためつけられました。
この「乾燥」が、欲のないイメージにつながったのか、「temperance(節制)」という花言葉が生まれたのです。また、英語で禁酒を「dry(乾燥)」と表現します。そのため、「アザレア」にも「禁酒」という花言葉がつけられたのだそうです。
ここで「乾燥」と「禁酒」という日本語のツツジの花言葉にはなかったワードが出てくる
そして乾燥は砂漠を連想させる そして禁酒についても調べてみた
禁酒令
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E9%85%92%E4%BB%A4
禁酒令自体は古代からあり、最古のものは紀元前2200年頃の古代中国の夏王朝の禹王によるものと伝えられている。
紀元前1100年頃の古代エジプトのものが記録に残っている最古の禁酒令とされ、古代ギリシャやローマでも発令されている。
禁酒令の最古は中国だと書いてるが、“記録に残っている”最古の禁酒令は古代エジプトと書かれている
俺はこれを、禁酒=エジプトのことを指していると解釈する
ツツジ=アザレア=乾燥・禁酒=エジプト
三角形のストーンバッジに加えてこれで3つの共通点が見つかった ちょっと荒唐無稽でムカついて来たのでこれからは違うのにしますね 謀反人として生涯を終えたことと、演義において諸葛亮との関係で貶められたこともあって、
魏延は中国では尋常でないほど嫌われており(楊尚昆を参照)、
彼の廟があった所に鉄道を開通させた際には、移築されずに取り壊された。 しかし、いきなり反骨の相はないだろう。そんなんでは蜀に帰参したり投降する将はいなくなる。
演義だとしてもつじつまが合わない、というか、無理矢理な伏線を感じるな。
実際は政争に負けた、気質の強い優秀な軍人だったんだろう。
当世一般の高いプライドや義理感覚は持っていたとしても、それだけで批判できるものじゃない。
ソース未提示。 魏延は軍人叩き上げ階級で、いわゆる諸葛亮が採用した名士・士大夫の官僚・高級軍人たちから孤立していたのではないかと
推測する渡邊義浩や満田剛などによる研究もあるね
粗野な軍人っぽい黄忠が黄権などと同じ南陽黄氏出身で蜀漢における荊州閥というバックボーンを持っていたり、
馬超が馬援の末裔という毛並みの良さを持っていたのとは違う
魏延vs楊儀の争いで成都の官僚たちが楊儀支持を即断したのも、そういう背景があったのではないかと考えてしまう どれだけ頑張っても、階級で劉琰みたいな奴の下にいないといけないのは辛かっただろうな、魏延
関羽、張飛、魏延といった叩き上げの上級軍人たちは、名士・知識階級・文化人とうまく折り合えず不幸に終わった 太守をやっているくらいだから水準以上は当然くらいに考えてもいいのでは?
中身としては、は実際の頭のよさ、つまり頭の回転は早いと思う。兵法は一般並に通じ、それを実用できるって感じ。
でも、優れた典籍を修めるようなずば抜けて「学がある」っていうのじゃないだろう。
むしろ、そういう白面の書生の重要性を認めつつ、かつ自分はそういうタイプじゃないし、また、生理的にソリが合わない。でも、けして憎んでるわけじゃない。
それが俺の「魏延さん」だな。 耳学問だけでも、かなりの学を身につけた人物ってかなりいるからな。
侮れない。 ていうか、後期になるといきなり猛将扱いされるけど、実際どの程度だったんだろう
周泰ぐらい? それってかなり凄いじゃねえか。
まあ王平にしてやられてるって所が共通してんのか? 一度、ここで締め切ります
IDの被ってるお二人は申し訳ないですが
お一人だけ見させていただきます。
ご家族が別々に依頼してきてるって
可能性もありますが、僕の中で
同一人物が依頼してきてるかもという
先入観ができてしまっていて
その先入観がメッセージを降ろすジャマを
するので、ご了承ください 魏延は単に兵卒を叱咤激励し戦場での駆け引きに賭ける将ではない。
張飛を抑えて漢中太守に任命された時の話から
どのような戦争になるのか
それにどうのように対応するか
平時からどのように準備すべきか
これらを考え遂行できる人材であることがわかる。
つまり平時から敵情偵察、密偵による情報収集、必然的に諜報戦にも理解があり
地形の精密な測量を積み重ね、また兵站について膨大な書類を決裁できる。
聡明な頭脳と煩雑で単調な事務作業に耐えられる忍耐力を兼ね備えているだろう。
単に武のみの人材ではないのは明らかだ。 軍の司令官として、地方を一つ任せても安心できる人材ってこと?
劉備配下だった人物で、そこまでの能力のあった人って
他にいるんだろうか。
関羽は違う気がするし(最古参&顔、文斬った勇名で荊州任された印象)。
張飛は部下の把握が下手だから問題外だし。
教委もアレだからなぁ…
すごい出世スピードだったのは、劉備の配下にそういう人材が本当に
いなかったのも関係してるのかな? 俺も魏延は司令官の器だったと思っているんだが、
そこまで買い被る理由をkwsk
某トンデモゲームではないけれど、魏延は劉備のこと慕ってたんじゃないかな。
長安急襲の拙作や孔明死後もいたずらに戦争を続けようとした事など、
魏を倒し(まではいかなくても長安・洛陽を陥し)て漢朝の正当な後継者になるという劉備の遺志に固執しすぎてるように取れる。 むしろ、後世でスーパーマンにしすぎただけじゃないかな。
あれもこれもやらなければならなかった、至って優秀な文官だったと思う。
でも人間なんだよ。
孔明スキーを越え過ぎちゃった人たちはなぜそれがわからん!
魏延さんも孔明も、腹も立てばクソもしたんだぜ? >>746
見ていただきありがとうございました
儲け話には注意しろということですね
気を付けます
なんか最近地震とか多いから備蓄とかしたほうがいいのかな・・・
来年の7月大津波とか災害で地震が起こるとかいろいろいわれてますが
ちょっと怖いですね つうか演義の孔明はかなり性格が酷い
正史の孔明のほうが人格者だよな 演義での孔明がひどいと思ったときは、魏延と初対面でいきなり反骨の相があるとかいいだすときと
南蛮遠征で孟獲を捕まえてきた部族長たちを元の陣に戻れといったシーンだね
心服してない孟獲が自陣に戻ってきたら彼らは真っ先に殺されるなんてのはすぐにわかるだろうに。
あえて見殺しにしたような感がある 晩年の魏延は相当な豪傑だったんでないの?
関羽だって、劉備に出会った時と荊州王気取ってた時とじゃ違うでしょう。 総合的な能力でかなり秀でていたってことは、
蜀における諸葛亮の立場を脅かす可能性もありそうだった? 関羽は文醜を倒していない。 それは曹操の軍勢の手柄。
最重要地の荊州を任せられる人材は、
能力だけでなく人物の格というか扱いについても絶妙の判断が求められただろうが
劉備の下の人物では やはり関羽が至善とは言わずとも次善だっただろうな。
曹操や孫権にも武勇だけでなく、知略に優れた人物だと買われているし
だからこそ実際に将軍位を与えたり侯に封じたり婚姻を結ぼうとしたという事もあるのだろう
(能力だけで上記の扱いを受けたとも思わないけど)
張飛も下っ端には厳しかったが士大夫層に憧れていたようで そのために学問も修めたようだし
実際に施政も悪くなかったと聞く。 最期で評価がだだ下がりしたのだろうな。
関羽も張飛も、補佐する人物がいたらもう少し変わってきたかも
姜維は出自はともかく、蜀ではガチガチの武官だからな。 前任者ほどの才気は無かった
(まあ費イに匹敵する人材は中々いないわな) いやあそれは・・・ 諸葛亮は言い方は悪いが独裁に近い立場を固めていたし、
諸葛亮に気に入られていたのだからわざわざ脅かす必要性も薄いだろう。 反骨の相八百長説はどこかで見た。
おまえらこれから裏切るなよという芝居だったと。
寧ろ孔明に信用されていた証拠。 というか単に演義を書く上での後だしジャンケンにも思うんだが。 魏延って劉備の事は何て呼んでたんだろ?
劉備が帝位に就いてからは当然変わったんだろうけど そりゃ劉備の事は慕うだろ。 取り立てられているわけだから 正直なところ諸葛亮時代の魏延は劉備を慕う云々よりも
自分の自尊心への固執と言った方が適切な気がする。
例えば長安急襲案は魏略を参考にするならば「俺を見れば敵は逃げるよ」
っていう自分を趙過大評価した部分に基づく部分が大きいし
それ以後も韓信の故事に習いたいと別働隊を要請し続けた事や
それを却下されると自分の才能を使いこなせないと諸葛亮を「臆病者」って批判したり
仲が悪いとは言え楊儀に刀を向けたり
諸葛亮死後には「丞相が亡くなられても自分がいる」「楊儀ごときの指揮を受けれるか」
と言ったりと自分に自信が在り過ぎるのが問題かと
また蜀将スレでも書いたけど、あんまり大将の器って感じじゃないね
なんにせよ諸葛亮死後の撤退で、味方の退路を断つのはやり過ぎ
下手すれば全滅の可能性もあったろうに 同意だね。
良くも悪くも一軍の将というしかないな。 魏延はきっとパフォーマンスの上手い、
つまりは自身のアピールに長けた武将だったと思うよ。
実際の戦い続けていれば、どっかで転んだ予感。 現場の人間として、明らかに戦争知らないようなバカが間違った指揮取りゃ反論もするし反抗もするわな。
長安急襲にしても、圧倒的国力差がある相手に正攻法で攻めるとか愚の極みな戦略よりかだいぶマシだろ。
と言うか魏に勝つには奇策に次ぐ奇策を成功させていかなければまず勝てない国力差があるのは事実なんだから。 北伐は示威行為で本当に魏を討つつもりは無かったのかもな
魏延はやる気だったかもしれんが >>759
藤平さん
『何も危ないことはありません。どうぞ、お入りください。
ですが、入るか入らないかはあなた自身が決めることで
開かないと思っている扉のカギは、とっくにはずされています。
あとはあなたが扉を開く決断をすれば、あなたの望むものに
手が届きます。人は無意識のうちに変わることを恐れています。
例えそれが良い変化であっても、変わることが怖いのです。
だから、私はあなたの決断を尊重します』とのことです。
過去世の一つに中国の男性の姿が視えました。
少年の時分に流行り病で両親を亡くし、同じような境遇の
子供たちを集めて、一つの集落のようなものを作り
成長してからも、孤児院のような集団として機能するような
組織をつくったみたいです。 >>779
金星さん
ご返信ありがとうございます。
儲け話に限らず、慎重に物事をすすめていただければさいわいです。
地震を含めた災害は怖いですよね。
もちろん、備えはあるに越したことはないですし
万一の際の避難所や避難経路は確認しておくのがベストですが
やることをやり終えたら、運を天に任せて開き直るしかないかもですね。 届くかはわかりませんが
個人的にメッセージを送りたい人がいるので
ちょっとだけ失礼します。
『もう気は済みましたか?それとも、まだ満足できないですか
これだけのことをして満足できないのは、あなたが本来すすむべき道から
大きく外れているからですよ。
このままではいつまでたっても満たされないし、自分の心の毒で
自分自身を病ませる一方でしょう。
あなたがいま見つめるべきは、画面の向こうの見知らぬだれかではなく
自分自身の在り方です。あなたが本来の自分を取り戻せるように願っています』とのことです。
過去世の一つに白人男性の姿が視えます。アルコール中毒の父親をもち
苦労させられたみたいです。そんな父親を憎みながら、結局は自分の同じように
アルコールに溺れていきました。
「自分にないものばかりを数えずに、自分が手にしている幸せを見直せ」と言っています。 つまり魏延さんは出師の表を間に受けてたんだね・・・
溢れんばかりの孔明への愛だな。 孔明の出師は心底やる気でしょ孔明に能力がなかっただけで
チャンスがあったのは最初の北伐くらい
あの時は蜀をなめきって魏は何の対策もしてなかったし 蜀漢は北伐(反魏活動)しなくちゃいけないから
嫌々やったんじゃないか? そんな気がする。
孔明本人としては蜀の防備と政治体制を固めて
地方に割拠したいだけだったのかもね。
特に劉備死後は前線で戦える将軍もおらず
攻勢に出る危険を熟知していたと思う。
でも遺詔だしなぁ…てな感じ。 北伐や、漢の再興をうたい文句にしないと、求心力を保てない政権で、
戦争したくありませんなんて、どんだけバカな政治家だよw
だったら端っから劉備を担ぎ出さなきゃ良かっただけの話し。
可能、不可能を問わず目標をたて、一致団結する。
内心の不平不満は、この際おいておき、一心不乱に国政に打ち込む。
余所から来た流民集団と、地元の集団との連合政権を維持させる手段がなかった。
北伐以外に、どうやるんだ?
それぞれの利害関係や、派閥の問題をどう解決するんだ?
北伐は手段であって、目的じゃない。 >>797
扉についてのお告げは
心当たりのようなものが沢山ありすぎてなんとも言えないです
少し具体的に書くと8個くらい候補があります
友達への連絡
資産運用
家族計画
沖縄旅行について
原稿執筆について
四国の先生への問い合わせ
沖縄の先生への問い合わせ
信仰のようなものについて
どれもどうしようかそれぞれに迷っています
中国のでの孤児院みたいなものの前世は
良い人な人生のようで良かったなと思いました
今は中国大陸とはそんなに縁は無いですが
東洋医学とかには縁がある気がします
書いてもらったことは
まだ自分の中で未消化なことが多いのですが
お礼を忘れるといけないので
先にお礼を書かせていただきます
ありがとうございました! >>805
ご感想ありがとうございます。
なるほど、なかなかに
よくばりセットですね。
藤平さんの人生において、優先度の高いものについてと
考えてよいかと思います。
そんな言い方をすると余計に迷いますかね。
でも、急がずにじっくりと考えれば
なにの扉かはおのずと見えてくるかと思います。 李厳なんて劉備時代からの重臣中の重臣だろ。
諸葛亮の登用の責任とかいう話じゃない。
ほぼ同意だが、蜀漢政権の中に益州人と荊州人の綱引きがあった、みたいな話だけは疑問。
そもそも劉二牧自体が益州外から来た人間である上、
益州の土豪たちとの紛争の記述もある。
そして、配下にしても雍州出身者(法正)、荊州出身者(李厳)などマチマチだった。
また劉備の臣下となった益州人にも荊州への留学組も多く、益州人とはいえ色々な立場があることが窺える。
孫呉だって華北出身者が多い。
曹魏にも荊州出身者がいる。
なんか蜀だけ内部対立の火種を抱えていた、まとめあげる求心力が必要だったみたいな考え方にはピンとこない。
(国内をまとめあげるためだけの北伐だった、みたいなよくある意見には特に同意出来ない) 魏呉はどちらも現地出身者がトップ~重臣に多い政権
蜀はトップ、中期までの功臣がほぼ外来出身者による政権
この差は小さくはないのでは そうなんだよな、蜀は蜀で独自性ってあったしそれを荊州から劉備が
乗っ取ったみたいな感じになったわけだし、人材統制は難しそうだよね 魏延はプチ関羽みたいな所があるよね、傲慢でプライドが高くて、でも言うだけの
力はあって。さぞ扱いにくいタイプだったとは思うよ。劉備にしか心服しない、劉備に
しか使いこなせない爆弾だったんじゃないか。 魏延の能力は惜しい、でもあまり
力を持たせすぎると自分の死後こいつは抑えを失って絶対に暴走する、孔明は
そう考えたのかもしれん。馬謖を抜擢したのも姜維を重用したのも、魏延に対抗できる
重石たる人材が欲しかったのかも。
この意見、ちょっと納得。 馬謖は自分の派閥の若手を抜擢して勢力拡大したかっただけ
姜維は、・・・諸葛亮に重用されたっけ?
諸葛亮が魏延を嫌っていた、という話が無い以上、諸葛亮が魏延を排除したという話は妄想という他無い
・・・諸葛亮は魏延を後継者と考えていた、と同じくらいにはな
こういうことを想像するのは楽しいが、ちと現実味がないんでね? >>806
ありがとうございます
実は少し前に神憑りとかいうものに似たような症状になって治すまでにかなり苦労したことがあります
それこそ神社、お寺様々な場所を巡って
なんとか落ち着かせた感じです
しかし今でも時々疼きのようなものがあって生活に困ることはありますが頑張って生きております
元々はあまり親しくない人の祖先のような人たちが風葬だか鳥葬されていたけれど上手く始末されてないみたいなことをその親しくない人に伝えるだけで良さそうだったのですが
その人が聞く耳持たずに酷い目にあった
という妄想だかオカルトだかわからない体験でした
本当はその事件の後始末に
とある人へ手紙でも書くか、私がその土地へ行くかすると良さそうな気もするのですが
下手に行ってそれこそまた辛い思いをするのも困るなと一人で悩んでいるということもあります
しかしその場合のどうぞお入りくださいは
ちょっと怖いな!という本音です
このことは隠しておこうかなとも思ったのですが恥を忍んで書いてみます
ありがとうございました 北伐は上手く行かず、人材登用でも馬謖や李厳、楊儀などミスの多かった諸葛亮を引き立てる為に
武功も多く、劉備の新任も厚かった魏延を悪者扱いしてるような気がする 魏延は陳寿を始め色々な方面から庇ってもらえているが、ただでさえいい
ところのない夏侯ボウの評価を更に下げているのは魏延だよな。
誰も文句言わないが、中々罪深い男だよ。 そもそも反骨は小説のみで、
かつ、諸葛亮が他にも裏切り者がいるのに魏延にだけ文句つけた時にでた言葉だ 魏延さんと高順は男の中の男。
異論は認めない事もない。 結局、元々の益州の人間は一度劉備に降伏してるから
魏が攻めて来ても
(また降伏すりゃ良いんじゃね?)
って思ってる節があったんでは。 >>812
藤平さん
なかなか厄介な状況のようですね。
一般社会で口にすると、「何言ってるんだ、こいつ」と思われそうですが
全面的に信じます。
後だしジャンケンみたいになりますが、仏様からのメッセージを受け取る際に
最初に感じたのが「入」という漢字で、ちょっと特殊な領域という印象を
受けていたのですが、それこそオカルトチックな話になるので
そこは伏せておきました。
このスレもいつまでもつか分からないので
gon4120アットマークgmail.com
にご連絡いただければ、僕のほうでも
その方のご先祖のご供養など、お手伝いできることがあるかもしれないので
もしよろしければ、またご相談ください 正史では諸葛亮は善く魏延と楊儀を使いこなしている
これ以上無く魏延を重用している
諸葛亮は讒言を聞いても魏延を庇う
魏延は文句を言いつつも命令を守っている 正史読んだけど、かえって魏延の印象悪くなったな。
楊儀に口で勝てないからって刃物突きつけたり、
撤退命令に背くのみならず、命令通り動いてる連中の邪魔したり、
部下に愛想尽かされて逃げられたり。
むしろ魏延を順調に出世させたり、魏延を馬鹿にした奴を厳しく問い詰めた
孔明の印象が良くなった。 たいていの魏延オタは正史に載ってる事を見て見ぬ振りするよな。
大好きな魏延様が悪く書かれて、大嫌いな孔明が良く書かれているからなんだろうけど。
魏延も小物なら、そいつを好きになる奴も小物ってわけか。 魏延 文長
劣化呂布(裏切り&独立しやすい武力馬鹿&魅力が低いで「裏切者」の代名詞)
毛沢東が政敵楊尚昆を名指しして「貴様は魏延だ」と述べたのは有名な話
横山三国志で「蜀を自分の物にする」とか抜かしやがったが
呂布や孟達同様不忠の裏切り者の小悪党らしく自業自得で無様な最期を遂げる 魏延が嫌いというより、魏延オタクが嫌いなんだよな。
どいつもこいつも判で押したように「魏延は悲劇の英雄。孔明の陰謀の被害者。」
みたいな事ぬかしやがって、演義だけのエピソードの反骨の相や魏延焼殺計画を
鬼の首取ったように振りかざして孔明を貶める。
演義だけで判断してるって意味では「周瑜や魯粛は孔明のピエロ」って言ってんのと同じだよな。 オレ的に 魏延…亀田史郎
孔明…協栄ジムの会長
トラブルばっかり起こしてるけど、いないと困るから御機嫌取らなきゃいけない。
利用価値がなくなればトカゲの尻尾切り。
もっとも魏延が勝手に撤退命令に従わなかっただけで、
孔明が魏延を見捨てたわけではないのだが。
楊儀に剣を突きつける魏延、アナウンサーを恫喝する亀田史郎、
明らかに自分より弱い相手にチンピラみたいな威嚇をする行為が
どうしても似通って見えるんだよ。 魏延の存在は重宝したと思うが、彼自身を高く評価するのも難しいな。
人材的に豊富とは言えなかった蜀軍では、少々の人格的問題はあっても
活躍の場があった。
だが、その問題が最終的に自分の首を絞めた。
あの関張も(特に張飛か?)人間関係で失敗してるから、難しい所だ。
仲違いしながらも合肥を守った三将に対して、蜀の将は公私のケジメが
着いていなかったのか・・・・・とも言えないか・・・・・ 諸葛亮が長生きして魏延が先に死んでればな・・
魏延の名声も子孫も残っただろうに 実質最大の後見人である諸葛亮に対して、命令に従いつつも反発したり
幕僚との軋轢が強かったり、明らかに政局における立ち回りが下手だよな
政敵である楊儀の指揮下に入ったら(状況的に楊儀が諸葛亮の後継と見るに十分だろう)
不仲だった自分が殺されるかも、と考えたのか、それとも諸葛亮の遺言そのものを捏造と疑ったのか、
どちらにせよ、これに逆らった時点で魏延の命運は定まった
橋を焼いたのはやりすぎだし、楊儀反逆の上表も正しい内容とは言えない
むしろ、楊儀の方が諸葛亮の遺言に従ってるわけで、後に魏延が兵に見捨てられたのも仕方ない
ただ、これに前後して諸葛亮幕僚陣の動きがあまりにもシンクロしてるのが、違和感がなくはない 実際に裏切ったわけではないのにいつ裏切るかわからないという不信感を持たれるのは、恐らく姓が敵国の魏と同じだからだろう 孔明は魏延を買っていたでしょ。軍を与えたらすぐに戦果を上げてきたんだしな
ただ気に食わないのは自分の策に対して魏延常に反論、対象意見を出してきたこと
にわか諌議大夫のような存在になっていて、そのやり取りが不忠、反骨のように捉えられていたんだろう
孔明の策が絶対と考えている人から見ればそう見えるのは当然だ 長安奇襲策は成功率がとんでもなく低いし、長安取っても維持できないから切ったんだろう
気に食わないから策を切ったとは思えない
諸葛亮の策が絶対というより、魏延の策が僥倖を恃みすぎ、稚拙だっただけ
しかも状況が変わっても同じ策を進言するのも頂けない
また、でたらめに魏延を罵倒し、諸葛亮に詰問され、本土に戻された劉エンに対して
楊儀には詰問がいっていない以上、その罵倒は事実を捉えていたと見るべきだろう
これに対し刀を突きつけ黙らせるというのは、あまりに短慮
こういう行いが人望を失った最大の要因であると言える
また、諸葛亮の遺言に背き、撤退する軍の妨害をしたのは、内情はどうあれ反逆行為 最初の一回はともかく、二回目以降も長安急襲を進言するのはまずいわな
魏に警戒されてるに決まっている 1・かねがね諸葛孔明の戦略に逆恨みを抱いていた魏延は
丞相にならんとたくらんで謀反を企てる
2・謀反に失敗すると命惜しさに保身の為に魏に投降しようかと言い出す
3・孔明の遺命を受けていた馬岱に「蜀を自分の物にする」よう
そそのかされて魏への投降を撤回して楊儀と対決しようとする無策ぶり
4・馬岱に誅殺されて呂布や孟達同様不忠の裏切り者の小悪党らしく
自業自得で無様な最期を遂げる 馬岱って命からがら逃げ出した魏延を追い詰めて殺しただけで打ち破ったわけじゃないだろ
どうも戦上手じゃないみたいだし >>760
リュリュさん
『再び、夢をみてください。人は大きくなると現実のあわただしさに
押し流されて、自分が本当は何になりたかったかを忘れていって
しまいます。今のあなたは自分がかつてなりたかった自分に
近づいていますか?
もし、遠く離れてしまっていると感じるなら、どうか思い出してみて下さい。
本当の自分を取り戻してみてください』とのことです。
過去世の一つに、帝の側室だったものが視えました。
時代まではわからないのですが、鎌倉から室町あたりだと思います。
あまり高くない家柄のようで、政治的な立場は低く
側室としてはあまり見向きされなかったようですが、本人的には
そのほうが気苦労が無くて、楽だったみたいです。
さばさばした性格だったようですね 馬岱って正史じゃ牛金に負けてそのまま消息不明だから
下手すると獲られた首級の中に混ざってる可能性もあるな 魏延は義陽郡の人との事だが
彼が仕えた太守って韓嵩なのか? Wiki見たけど、演義の被害者って言うよりは正史でメッキが剥がれたって感じだな。
演義では陰険な孔明にいじめられて可哀想、みたいな同情できる部分はあったけど。 孔明死後の末路を見れば冷遇どころか、むしろ庇護の下にあったと言うべきだよな
にわか正史オタが持ち上げる人物の筆頭 蒋エンも董允も蜀軍撤退事の魏延の行動を非難しているだけで、普段から嫌っていて
孔明が死んだら途端に手のひら返したというような記述はないよ。
孔明は魏延に嫌われていたが、その軍事的才能を惜しんで重用し続けたというのは
立派は話ではあるが。 >>818
暖かいお返事ありがとうございます
少し迷いましたが
僧侶の方なので
お話を少しさせて頂こうかなと思います
悩みながらメールを書きますので
よろしくお願いします >>840
ご遠慮なさらずに。
本来であれば、その方自身がご先祖の方に気持ちを向けてくださるのが
最大の供養になりますが、それは期待できない状況みたいですし
かと言って、状況を聞いた以上は無下にほっておくことも出来ないので 税集めしかできない能無しに軍の指揮なんか執らせるほうが悪いんだよ 最近三国志に興味持っていろいろと調べているのだが、
魏延の死は自業自得としか思えんぞ。
なんで演義の被害者だの悲劇の英雄だの持ち上げられてんの? 史実魏延はその通り自業自得な面が強い。
ただ演義だと、二度の裏切りを捏造されたり(劉表配下、韓玄配下)、その最後に大きく関わる楊儀との対立があまり描かれず
諸葛亮に従わない反骨武将としてされてたりはする。 演義のヒーロー諸葛孔明大先生への当てこすりという事か。
しかしそれならば何故、調べればボロが出る魏延を出汁に使うのか?
ネットで簡単に情報が手に入るこの時代に。俺が当てこするとしたら、張嶷を褒めちぎるけどな。 蒼天航路の魏延が良い奴に見えるが
あの後で傲岸になった末に政争で負けるという事を考えると泣ける >>834
リュリュです。
1年かけて叶えようとしたことがあったのですが、どうも叶わなかったような、希望もなくなってしまったような感じで、宙ぶらりんな気持ちでした。
「再び、夢を見てください」と言われまして、もういちど新たな夢を見ていいのかなと気持ちが楽になりました。
そして、かつてなりたかった自分とは離れたことをしていたなと気づきました。
前世のお話から、確かに元々そんなにこだわりはなかったなと思い出すこともありまして、みていただいてよかったです。ありがとうございました。 >>847
リュリュさん
ご返信ありがとうございます。
今は希望もなく、空虚感でいっぱいなのですね。
仏様のメッセージを降ろす際に「再」という言葉が強く出てきました。
再び立ち上がってくださいという想いがこめられていましたので
どうか、くじけることなく前を向いて進んでいただければと思います。 良い悪いはともかくキャラとしていい味出してるから趙雲よりも好き。 魏延が荊州で劉備に与した経緯が知りたい。
韓玄の下にいた、っていうのは無いと思うが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています