>>684
もちろん確定事項ではなくてあくまで推測の域ではあるけども、少なくとも捜査員たちはそう見てたらしい
まあ毒殺というか、一家心中するフリで息子だけを騙し討ちで死なせたという説ね
以下はWikipediaより

>事件当時、移送中に逃亡して行方不明になっていた少年Sだったが、捜査本部は立川市にある実家への張り込みを行い、部屋からレコードの大音量が流れていたことから、少年Sが実家へ帰っていることを突き止めた。

ところが、周辺の警察署へ「手を出さないように」と連絡していたにもかかわらず周知徹底が不足しており、事件から5日後の1968年12月15日、立川署の刑事2人が少年Sの実家を訪問し、居場所を尋ねた。

仕事で不在の父親に代わり対応した母親は「息子はいません」と答えた。
刑事たちが引き揚げた後、仕事を終えて帰宅した父親と大喧嘩する声が近隣住民に聞かれている。

同日深夜、父親が購入していた青酸カリで少年は自殺した。
この死について、周りの人間は「Sは自殺するような人間ではない」と口を揃え、さらに青酸カリが包まれた新聞紙からは、父親の指紋しか残されていなかったため、疑問視する声が強い。

なお、現場には少年が妹に宛てて書いた遺書2通と母親が書いた遺書1通(「私の遺骨は実家の墓に入れて下さい」という内容)が残されていた。

捜査員が母親に問いただすと、
「息子が便箋がほしいと言うので渡したが、まさか遺書を書くためとは思わなかった。
私の遺書はずっと以前に書いたもの。息子を巡って以前から夫婦仲が悪く、死のうと思ったことがあった。
遺書はその時のもので、便箋の中に挟んだまま、捨てるのを忘れていた」
という苦しい弁明に終始した。

捜査員たちは、「刑事が自宅を訪れたことから両親が少年を問い詰めたところ、三億円事件の実行犯であることを告白したため、一家の将来を悲観した両親は『一緒に死のう』と言ったにもかかわらず、少年だけを自死に追い込んだ」と考えた。

事実、現場には2つコップがあったが、青酸カリの反応が出たのは1つだけだった。