今ここに生きている自分が
肉体とセットでついている自我(エゴ)視点か

永遠の命を生き「肉体という乗り物」を操縦する魂視点に立つかで
感じ方が大きく変わるのだと思う

神と靈と人は三位一体となって
この物質世界を生きているから
それはどう足掻いても切り離せない

日月神示の神様の言っている事は
自分がその乗り物(人)ではなく
元々ドライバー側であると気付けよ、
という事なのだと思う

皆がそれぞれ生かされている事に感謝し肉体エゴの視点に振り回されなくなれば(=身魂の洗濯)
この世は地上天国で嬉し嬉しの神代になると